Webはまだじゅうろくだ〜から〜
えー、例によって固い話になるので、まずは、ガッキーの声で脳内再生してリラックスしてください。
Webはまだ〜♪じゅうろくだ〜から〜〜♪
1994年に、ジム・クラークとMosaic開発者らによりモザイク・コミュニケーションズが設立されてから16年間、ブラウザから覗くことができるWebの世界は成熟してきた。
誰もがWebが何であるかわかった気になっているが、Webはまだ16才で、その本当の可能性はこれから花開く。
Webとはプロトコルの両側にある自由である。
コンピュータプログラムには無限の可能性があるが、無限の可能性を二つつなげても、そこには混乱しか生まれない。通信に意味を持たせる為には、決め事が必要である。
自由を生む為にはプロトコルが必要で、そのプロトコルはキツすぎてもユルすぎてもダメだ。奇跡的にちょうどいいゆるさのプロトコルが集まったものがWebだ。
Webを支える技術 -HTTP、URI、HTML、そしてREST (WEB+DB PRESS plus)
Webの一番大事な所をわかりやすく解説してあるのがこの本である。
ここに書いてあることが通用している限り、Webは形を変えて発展し続ける。我々が見ているブラウザの中のWebとは全く違う、別の顔をした Web がたくさん生まれて来るだろう。
これは技術者向けの本で、一般の人が読んだら、わからないことは無いけど無味乾燥で自分に関係ないもののように感じるかもしれない。
でも、たとえば、iPhoneを使っている人は、ぜひこれを読んで欲しいと思う。
iPhoneではブラウザ以外にもたくさんのアプリがWebのプロトコルを使って通信をしている。アプリがiPhoneの画面の裏側で何をやっているか、この本を読んでいると少しづつわかってくるだろう。
なぜ、多様なアプリがこれでもこれでもかと言うように出て来るかと言えば、Webがちょうどいいユルさでできているからだ。
プロトコルがユルすぎたら通信が成立しない。キツすぎたら、その通信で出来ることが限定される。ちょうどいいユルさがあって、プロトコルの両側に自由があるから、iPhoneで、いろんなことができるのだ。
iPhoneを使っていて、何故こんなにたくさんのアプリがあるのか不思議に思っている人には、この本をおすすめしたい。全くプログラミングや通信の知識が無かったら、ちょっとは覚悟がいるかもしれないが、挑戦しがいがある課題である。
自由の為にプロトコルが必要で、適正なプロトコルによって、無限の可能性が生まれる仕組みを知るのは楽しいことだと思う。
自分が使っているアプリの後ろ側を想像しながら、この本を読む時間は、ジワジワ来るエキサイティングな時間となるだろう。
技術者でなくても、ちょっとでもWebに関わる仕事をしているなら、必読と言っていい本になるだろう。
ビジネスマンはブラウザの中でいいポジションを得ることに腐心していて、それがWebのビジネスだと思っている。
ブラウザの中で起こることで一喜一憂するのは、三ヶ月ごとに変わるテレビ番組に振り回されているだけなのに、「自分はテレビの専門家だ」と思っている人のようなものだ。
「テレビの専門家」になるには、テレビ番組が改編されてもそのまま通用する認識なり見識なりを持っていなくてはいけない。
特定のテレビ番組のことを詳しく知っているだけで、テレビのことをわかったように論じる奴が多い。それを指摘すると、「テレビカメラやテレビ塔やテレビ受信機がテレビではない。コンテンツがテレビだ」と反論する。それはその通りだけど、三ヶ月で無効になるような表層的な知識がコンテンツではない。コンテンツと技術の中間の一番技術側寄りの所に、コンテンツの人が一番知るべきことがある。
それが「Webを支える技術」だ。確かにこれは技術的な本だが、これをテレビ塔やテレビ受信機の話で技術者以外には関係無い本だと思うのは間違いだ。むしろ、コンテンツに関わる人が知るべきことが書いてあって、余計なことが省いてある。技術者はこれを起点としてたくさんのことを覚える必要があるが、コンテンツの人はこれ一冊だけ読んでおけばいい。
これから話題になるサイトはクルクル変わっていくだろう。ブラウザの表側はいくらでも変化し続けるので、変化しない、ブラウザの裏側で何が起きているかを知るべきである。
欲を言えば、政治や法律に関わる人にもこの本を読んでほしいと思う。
ここには、自由と規制に関わる、とても興味深いお話が一つ書かれている。
コンピュータ同士の通信は昔からあるテーマだが、Web以前には、つながる相手は「身内」のコンピュータだけだった。人間でもコンピュータでも「身内」とだけの話は楽だ。言っていいことと言っちゃいけないことを細かく指示できるし、相手の素性もよくわかっている。悪い奴がいた場合の対処方法も何とおりもある。
素性のわからない奴とつながるというのは大変なことで、大きな発想の転換を必要とした。
「Webを支える技術」の大きなテーマであるRESTという言葉は、この発想の転換を意味している。RESTは「素性のわからないコンピュータ」と接続する為にはどうしたらいいのか考えていて生まれた。
「身内」とつながる為の通信では、まず受付に接続してから、その受付の案内によって応接室なり会議室なりに通されて、そこで秘書みたいな人と話をして、その秘書を通してやっと先方が出てきて本題に入る。「笑っていいとも」のテレフォンショッキングで、アナウンサーが電話をしてマネージャが出てきて、双方のエージェント同士の合意が取れてからタレントが会話を始めるようなものだ。その方法をWebに使おうとすると、受付や秘書が考えるべきことが多くなりすぎて破綻してしまう。
RESTでは、どんな偉い人にも携帯を持たせて、その携帯の番号を公開してしまう。話があるなら、いきなりそこに電話していい。しかし長く話すことはできなくて、手短かに要件を言わなくてはいけない。
大仰なプロトコルでガードして自由なボキャブラリで気楽に長話をできるようにした方がいいのか、要件しか言えない代わりに直接リソースにアクセスできる方がいいのか大論争が起きて、結局RESTが勝った。
RESTでは、リソースに対して要求できることは限られているけど、直接リソースにアクセスできる。
自由が規制を生み、規制が自由を生むという皮肉がそこにあって、「自由の為の規制」が勝ったのだ。規制を作る人がどれだけ自由を愛していたのかが勝負の分かれ目だったのだ。
Webサーバは、素性のわからない人からのアクセスも受けつける。それと同じようにRESTなWebサービスは、素性のわからないコンピュータからのアクセスを受けつける。アクセスを身内に制限しなくても、実用的で安全な通信は可能だということをWebとRESTは証明した。それがどれだけ豊かな成果を生むのかを見せてくれた。
これは、規制に関わる人が知っておいてもいい一つの歴史だと思う。
社会の中にWebが浸透してくれば、これまでのように技術者主導でWebのことを決めることはできない。一般の人がWebに関わる意思決定に参加していくことは当然である。
しかし、Webとはブラウザの中にある画面のことだと思ってる人が、Webに関わる物事を決めてしまうのは困る。
1991年にWebを考えた人も、1993年に一般の人にも使いやすいブラウザを初めて作った人も、Twitterはもちろん、YouTubeもGoogleもFacebookも知らなかった。自分たちの知らない未来に開かれた規格や製品を作った人たちがいたから、今のWebがある。
1994年にそのブラウザを開発する会社が生まれて16年。Webはまだ16才でこれからである。Webはこれからブラウザの外にはみ出してくる。
Webに関わる人は、何がWebを支えているのかを理解して、それが自分たちのまだ知らない未来に開かれていることを意識すべきだ。適正なユルさの為に汗をかいた多くの人がそれを支えていきた歴史を知るべきだ。プロトコルの両側にある自由を遺産として引き継いでいくべきだ。
「Webを支える技術」はその為の一つの基盤となる本だと思う。
(付記)
とある事情から、著者の山本陽平氏と技術評論社様の好意により、発売前の原稿を読ませていただきました。その経緯については、後日、ここで告知します。お楽しみに。