インターネット改憲運動?

このエントリによると、NGNというテーマの中で、「インターネットで使われている技術を応用して他の通信をもっと具合よくしよう」という話と「他の通信で使われている技術を応用してインターネットの具合をもっとよくしよう」という話が奇妙に混線しているようです。

「インターネットで使われている技術を応用して他の通信をもっと具合よくしよう」であれば、変わるのは他の通信なのでインターネットのユーザには関係無い話ですが、「他の通信で使われている技術を応用してインターネットの具合をもっとよくしよう」という話だと、変質するのはインターネットの方です。

「変質するとしてももっと良くする話なら結構な話じゃないか、どんどんやってくれ」とか思ってると、これがそうじゃないんです。

「インターネットを良くしよう」という話には、ほとんど必ずワナがある。何故なら、「良くしよう」と言う人は、今現在、何かの課題をかかえていて、それを直そうとするから。

今ある課題を簡単に解決してはいけないのです。

インターネットは、未来に開かれた技術の集積であるからです。

インターネットには

  • どんなノードでも受け入れる
  • つながる大前提であるネットワークを破壊しなければ、どんな使い方でも受け入れる
  • ネットワークそのものを含め、あらゆる応用への提案を自由に受け入れる

という寛容さがある。この寛容こそが、インターネット精神の骨子なのではないか、と考えている。

「受け入れる」という言葉が三回繰り返されていますが、未来に発生する「ノード」、「使い方」、「応用への提案」等を「受け入れる」為にインターネットは大きなコストを払っているのです。

「インターネットを改良する」という話は、未来の為にみんなが払っているそのコストを削減しようという話で、それによって、今すぐ困ることはなくても未来が閉ざされ未来が固定されてしまいます。

未来を固定する決断をするとしたら、その人は、未来と同じくらい過去をよく見てなくてはいけなくて、その過去とは、まさにid:txkさんが言う「インターネット精神」だと思います。

IPプロトコル(インターネットの基盤技術)を設計した人は、「ホームページ」というものを見たことが無かったのです。「ホームページ」を一回も見たことの無いおっさんが、ネットについて何か言って、それが当たっていることがあり得るでしょうか。

この事実は、技術者、非技術者双方が、何度でも噛み締めてみるべき問題を含んでいると思いますが、どうして「ホームページ」を一回も見たことの無いおっさんが作ったプロトコルが今でも使われているのでしょうか。

それは、そのプロトコルが「未来に開かれた技術」だったから。

世界最初のホームページが生まれた1989年の時点で、インターネットは既に完成していました。当時、想定されていた重要な応用(telnetftp)の技術は完成されていて、他はおまけみたいなものでした。あの時点で、当時の応用を想定して、技術を固定してしまったらどうなっていたか。telnetftpをもっと効率的に処理できる(けど、それ以外のことを「受け入れる」ことが無い)プロトコルに置き換えてしまったらどうなっていたか。

Webは存在しなかったのです。

もし、そのようなバック・トゥ・ザ・フューチャーがあったとしたら、そのストーリーの中で、未来のWebを抹殺する為にTCP/IPの最適化を企むビフに対抗すべく、1989年に飛んだマーティは、HTTPというプロトコルの重要性を当時に人に訴えるのに、非常に苦労したでしょう。

「なんだってそんな効率の悪い転送が必要なんだ」「どうして素人にネットを使わせなきゃいけないんだ」「一つの応用で何故そんなサーバが分散していることを想定するの」

技術者が、ビフとマーティの議論を公平に聞いたら、ビフに分があるように見えるかもしれない。ビフは、もっとよいTCP/IPを作ろうとしているだけだから。うっかりマーティが2ちゃんねるWinnyのことを口走ったら「そんな危いものは無い方がいいに決まってる」とか言われちゃいます。

やっぱり、マーティは「インターネット精神」を継承することの重要性を地道に訴えるしかないでしょう。

しかしNGNがインターネットと異なるポリシーで運用されるのだとしたら、インターネットはインターネットとして引き続き維持・発展させなければならない。それは、インターネットが「誰もが参加できる創造的社会の基盤」だと信じているからだ。実際、インターネットがなければ、Yahoo!GoogleYouTubeも生まれなかった。あるいはMicrosoftやNTTだって今のようなユーザ指向の高いベンダ・プロバイダではなかったかもしれない。

私はid:txkさんの主張に全面的に同意します。現在見えている応用だけに焦点を当てて、純粋に技術的な議論をしたら、「インターネット精神」抜きのNGNができて、それがインターネットを置きかえてしまうかもしれません。そして、そのような重要な決定が、技術者の技術者による技術者の為の議論で決まってしまう可能性があります。それを非常に懸念しています。

もちろん、「開かれた」ままでインターネットを改良することは可能です。IPV6IPV4以上に「開かれて」いるし、技術的にも改良されていると思います。NGNがそうなることは可能だし、そうなって欲しい。

技術的に錯綜する議論の中から、護憲と改憲の方向性を読み解くのは非常に難しいことですが、この問題には、技術者以外の関心をもっと集めるべきだと私は思います。

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