公開情報の中には見えない宝が埋もれている

かなり将棋に詳しい、id:mozuyamaさんとid:catfrogさんに昨日の記事を取り上げていただきました。ただ、お二人とも、私の記事には違和感を感じていらっしゃるようです。

mozuyamaさんは、次のようにおっしゃっています。

羽生三冠が勝てるのは研究がすごいからという面ももちろんあるのですが、それよりも大きな要素が何かあるという見方の方が普通だと思います。研究以外の要素が何かをはっきり述べられる人はいないと思いますが、序盤ではなく中終盤での何かでしょう。

序盤の研究というのは、アマチュアを含め誰にでもアクセスできる情報で、単なる定跡手順という一次情報だけでなく、「この戦形なら誰それが一番詳しい」という二次情報まで広く共有された情報だと思います。その公開情報から得られるものについて差があるとは思えないというのは、普通の考え方だと思うし、私も羽生さんのインタビューを読むまでは、そう思っていました。

もちろん羽生さんは、中盤での大局観、状況判断や構想に一味違うものを持っているし、終盤の鬼手とか相手の読みに対する読みのような所で、他の誰にも持ってない能力を持っているのは確かだと思います。研究された定跡から未知の領域に踏み出した先で強さを発揮しているのは間違いないでしょう。

しかし、少なくとも羽生さんは、公開され共有されている情報を利用し、成果につなげる方法について、自分にも極められてない部分が残っているということは言っています。

――フォローしていない戦法でこられると、多少実力差があっても逆転が起きるわけですか。

 そうですね。大まかに分けると2通りあるのですが、スペシャリスト型で、もうこの形しかやらないという人は、その形だと誰よりも詳しい。対戦する人は、その人がこの形で来るということが分かっていますから、それだけに対して対策を立ててくる。
私もそうですけど、最近多いのは、いろんな形をするオールラウンドプレイヤー。そうすると、「これもあるし、これもある」というふうに、どれでくるか対戦相手も分からないですから。でも、全部それぞれ進歩しているので、時間を振り分けてどこまでフォローするか、非常に難しくなっている。将棋は、選択肢がたくさんあったほうが戦いを有利に進めやすいという利点はあるのですが、あまり幅を広げすぎると全部フォローするのが難しくなる。もちろん、時間をたくさん費やして考えるのも大事なことですが、それをどこに費やすかもすごく大事ですね。

――羽生さんは、どうやって選ばれているのですか?

勘です。勘ですから、当たらないことも多い。それでも、この形を勉強するならこの人の棋譜を見ればいい、というのがある。そういうのを見つけ出すことがすごく大事。検索してオーソリティ見つける。たくさんの人が見たということよりも、信憑性の問題。この人のだったら間違いない、というのが見極められるか否か。もう最終的にはそこに尽きてしまう。たくさんある中で、本当の真贋を見分ける。

  • 今の最先端の将棋を(全ての戦法について全面的に)説明できる人は一人もいない
  • オールラウンドプレイヤーとの対戦では選択肢(研究)の量が重要だが時間は有限なので絞り込みが必要
  • (羽生さんはどうやって選ばれているのですか?)という質問に「勘です」「当たらないことも多い」という回答
  • 「信憑性の問題。この人のだったら間違いない、というのが見極められるか否か。もう最終的にはそこに尽きてしまう」

この問題は、次のように一般化できます。

  • 膨大な公開情報がある
  • 公開情報の中から優れた成果を引き出す人がいる
  • 優れた結果を引き出す人は、自分の情報処理過程を説明できない
  • 我々は「優れた結果を出す人は秘密の情報ソースを持っている」と考えがちである

羽生さんのケースでは、「秘密の情報ソース」は、「中終盤の何か」を生み出す彼の脳内の何かです。「情報ソース」と言う言い方は変かもしれませんが、彼にしかアクセスできない特殊なプロセッサが彼の脳内にあるというような意味で「秘密の情報ソース」言っています。

こういうふうに整理していくと、おそらく羽生さんをここに引っぱり出した張本人である梅田さんの話と重なってきます。

新興市場と今までの市場との一番の違いは、今までの市場というのは、どっしりした事業ばかりだから大体、ちゃんと計算が読める。この会社はどれぐらいの時価総額のものなのかというのが、ある程度ぶれないでできる。だけど、未知の技術、特許がどのくらいの価値があるんだろうとか、このチームはどれぐらい創造的なんだろうというのを評価するのは、恣意性みたいなものも入るし、そこはすごく難しい。それは構造的な問題なんだね。だから、そこの難しさを理解したうえで、そういうものが「内在している」という理解をすべきなんですね。

新興市場が「内在している」社会的価値、有用性を認めない人は、極端な言い方をすれば、そういうものを仕手株の集合体のような「うさんくさいもの」とのみ捉えているのではないかと思います。

  • 新興市場の中には膨大な公開情報がある
  • 新興市場の中から時として優れた成果が生まれてくる
  • 新興市場の中に「内在している」潜在的価値は説明できない
  • 全部が公開されて見えているのに、説明できない予測もできない価値があるとしたら「秘密の情報ソース」があるはずだ

つまり、両者に共通しているのは「多数の人間が関係する膨大な公開情報の中には、簡単に汲み出せない見えない価値が内在されている」という問題意識ではないかと思います。

私は「序盤研究は共有されているから、そこから引き出せる価値は予測可能で一定である」と考えていたけど、羽生さんはそうではないと言っている。新興市場の「うさんくささ」を排除しようとする人たちは、「公開されたベンチャー企業の事業について、社会がそこから引き出せる価値は予測可能で一定である(から仕手筋的な要素が無ければ新興市場は無意味であるはず)」と考えていて、梅田さんはそうではないと言っている。

  • 「羽生が強いのは独自の『中終盤処理プロセッサ』という『秘密の情報ソース』があるからだ」
  • ベンチャー企業が成功する(金を集める)のは『仕手筋』という『秘密の情報ソース』を持っているからだ」

梅田さんの話は、価値観にも関わる問題ですから完全に同列にはできませんが、価値観の問題の背後に認識論的な問題が隠れているようにも思えます。

「誰にもアクセス可能であるけど簡単に汲み出せない価値を含む情報」というものの存在を認めるかどうか。

それを認めたら、「序盤研究の活用の中にも『羽生マジック』がある」という発想や「理解できないおかしなことを言う連中を集めて競わせることには社会的有用性がある」という発想を認めることができるし、それを認めなければ「秘密の情報ソース」という枠組みで世界を理解するしかない。そういうことではないかと思います。

羽生さんの発言をこのように理解することが、将棋の話として適切なのかどうかはわかりませんが、羽生さんが専門外のネットのことについて異様にツボを押さえた理解をしていることの理由は説明できると思います。

(追記)

入れ違いで、もうひとつcatfrogさんからトラックバックが。

そうか、「頼る」という言葉には悪いイメージがあるんですね。タイトルを「羽生が他人に頼る2.0」に変えようかな(笑)