日本サポーターはごっつぁんゴールを祝福できるか?
2006ワールドカップ予選の、日本-クロアチア戦。あの柳沢のシュートは惜しかった。「惜しかった」という言葉ではすませられないくらい惜しかった。
しかし、あのごっつぁんゴールを入れたら、柳沢は祝福されるのか?と私は思ってしまった。
日本サッカーは宿痾のように決定力不足に悩まされてきて、今年は多少解消されたように思ったが、単純な決定力は獲得しつつあるとしても、「ここぞという時の決定力」が無いことを印象づけた場面だった。
フォワードの一番の適性は「ここぞという所」で「ごっつぁんゴール」を何の躊躇もなく入れられる人であることだと思う。
それができたら、彼はヒーローになる。彼の地力や努力や才能と関係なく、単なる幸運によってヒーローとなる。技術的には、「一番いい時にちゃっかりそこにいる」というのは、フォワードの重要な技術だと思うが(実際、柳沢にはそういう才能があって、あの場面がそれを象徴しているような気もするが、そこまで私はサッカーのことはわからないのだけど)、素人には「自分でも入れられそうな簡単なシュート」にしか見えない。
「自分でも入れられそうな簡単なシュート」を入れたことで、一躍国民的ヒーローになるような人を、日本人は果たして祝福できるのか?
そういう運と臭覚のみで生きているような人間が、自分たちの「代表」になることを日本人は許容するのか?
WEB日記を見て回ると日本の底力を感じる。別に長い文章を書かなくても、いろんなことをきちんと考えてる人が多いのは一目瞭然だ。ただ、MF的人材が多いと言えば多い。グラウンドの中にいて自分をとりまく状況を上から俯瞰して見るような認識力が、中盤には要求されるのだろうが、その力が行動力をむしろ圧迫してしまってるような気がしないでもない。
俺はジーコ監督ではないので、この超難解なパズルを解く義務はないのだが、中盤だけで試合に勝つ方法はないものだろうか?
柳沢は動物的直感で、この「ごっつぁんゴール」を入れた後の自分の運命を、あの一瞬に見てしまったのではないだろうか?そして多くの日本人がそうするように無意識に安全な「ヘタレフォワード」の道を選択したのではないだろうか?
誰が彼を責められると言うのだ。
(追記)
「日本へのメッセージ――グーグル、若者、メディア、ベンチャー精神について」という、たまたま今日公開された梅田さんのインタビューが、これと微妙にシンクロしているような気がする。