The World *IS* Flat

フラット化する世界(上)

フラット化する世界(下)

本書で一番印象に残ったのは、著者がこの本を書くのに使ったデルのInspiron 600シリーズノートパソコン製造番号9ZRJP41がどのように製造されたのかを、デル自身に調査を依頼して書かれたレポートだ。

そのレポートは、著者自身が、2004年4月2日にデルに電話をして、セールス担当のムジュテバ・ナクビ(コールセンターはインドにある?)にオーダーする所からはじまる。その注文は、マレーシアのペナンにあるデルの工場に流れ、工場の隣にある部品の物流センターから必要な部品が工場に送られる。

インテル・マイクロプロセッサーは、フィリピン、コスタリカ、マレーシア、中国のいずれかのインテル工場から出荷される。メモリーは、韓国企業(サムスン)の韓国工場または、台湾企業(ナンシャ)の台湾工場、ドイツ企業のドイツ工場、日本企業(エルピーダメモリ)の日本工場のいずれかから供給される。グラフィックカードは、中国にある台湾企業(MSI)の工場か中国企業(フォックスコン)の中国工場から出荷される。(下 P336)

以下無味乾燥なこのリストは2ページ近く続き、各パーツごとに世界中の企業が並ぶ。主なところで30社、関連企業も集めると400社に及ぶそうだ。

部品の物流センターから工場への出荷は、完全に受注後である。部品のサプライヤー各社は、このセンターの在庫を切らさないように確実にここに在庫を供給していかなくてはならない。

そして、A・サティーニという従業員によってペナンの工場で組み立てられたノートパソコンは、ペナンから台北経由で、デルがチャーターしたB747によってナッシュビルに運ばれ、そこからUPIによってメリーランド州にある著者の自宅に届けられる。著者の注文はたまたまその時に発生した部品不足の為14日かかったが、トラブルがなければ、4日でこの流れが完結するという。

この世界中が連結された複雑なサプライチェーンが、カンバン方式で、つまり在庫無しで動いているというのが、この世界の今の現実であるわけだ。アメリカや日本で1台受注すると、その為の部品が世界中からある工場に吸い寄せられ、パソコンになり4日で顧客の手元に届く。

「こうした国の人々は、自国のリスク・プレミアムを承知している」マイケル・デルは、デルのサプライチェーンに組込まれたアジアの国々について、株式を引き合いにして出して説明した。(下 P343)

デルは、直接的な政治活動は行なわないだろうが、おそらくリスクファクターを考慮して取引価格を決めるだろう。たぶん、ある国が政情不安を起こせば、100円で売れるはずだった部品が80円に買い叩かれる。一つの部品でも不足したら、4日のターンアラウンドで動く在庫無しのカンバンシステムが瞬時に崩壊する。デルは、製品の信頼性や品質とともに、各国の政治的な安定性を、厳しく評価しているはずだ。この圧力は、新興の工場経営者を通して、各国政府に対する政治的な圧力となる。無茶を実行するまでもなく、無茶を口にするだけで政治家の支持者が大損する構造がそこに構築されている。

問題の9ZRJP41という型番によって検索すると、中国語のページがたくさんヒットして、この本が中国でも読まれていて、「サプライチェーン化」という現実を鮮かに描いているこの本のこの章に注目している人たちがたくさんいることがわかる。

世界は連結されていて、その様子を誰もが簡単に目にすることが、もうすでにできるようになっているわけだ。

しかし、著者は単純なグローバル経済礼賛、フラット化バンザイ、Web2.0でイケイケ!というタイプではない。しっかり、そのマイナス面や阻害要因にも目を配っている。

ウォルマートの従業員子弟の1万人以上が州の(引用者注:公的な)医療保険に加入しており、その費用に年間100万ドル近い税金が投入されている」(上 P351)

「世界のフラット化した10の力」という章で、サプライチェーンの代表的な成功例として紹介されているウォルマートが、一方で、安月給で従業員をこき使う(結果、間接的に社会におぶさっている)会社であることを、このように具体的なデータによって明らかにしている。「大規模な整理」という章ではこの例をはじめとした、「フラット化」のマイナス面に触れ、「フラットでない世界」という章では、そこから取り残された人たちを取材している。

ただし、この利害関係は複雑である。たとえば、著者はセバスチャン・マラビーという人の次のような主張を紹介している。

貧困層は収入のかなりの部分を食料や日用品に費すので「ウォルマートの『毎日が安売り』はそういった人々にとってたいへん貴重なのだ。ウォルマートを貧困対策事業と見なすなら、消費者に2000億ドル以上の還元を行っているわけで、これは連邦政府の数多くの事業に充分に匹敵する。(上 P350)

世界が全てウォルマート化したら、それによって食べるものと寝る所を得て、初めて「フラット化」の入口に立てる人たちがたくさんいる。そこから多くの才能が先進国の若者と(知恵と努力とパッションだけで勝負が決まる)フラットな、対等な勝負に参加し、そこに多くのイノベーションが生まれ、安定した中流階級と大規模な市場が育つ。ただ、その過程で多くの労働者は疎外され権利を奪われていく。

また、インディアナ州政府の失業保険のシステムが、公平な入札の結果、インドのIT企業によって落札されたという事例も面白い。政治的な横槍によってこの契約はキャンセルされ、地元企業に回されてしまったそうだ。

そこで単純な疑問が発生する。このインド-インディアナ州の話で、搾取した側はどちらで搾取された側はどちらだろう?あるインドのコンサルティング会社のアメリカの子会社は、インド人社員と地元インディアナ州の労働者の双方を使ってコンピュータソフトウエアを改良すれば、インディアナ州の税金を810万ドル節約できると提案している。この取引で、インドのコンサルティング会社は大きな利益を得る。インド人の技術者も利益を得る。インディアナ州民の貴重な税金を節約し、その分で他の部門の州職員を増やしたり、新しい学校を建てたりできる。長い目で見れば、それで失業者を減らすことができるわけだ。しかし、労働者寄りの民主党員が調印したこの契約は、自由貿易を唱える共和党の圧力によって破棄された。(上 337)

「フラット化」は、単なる経済の話ではなく紛れもない政治問題でもあるが、従来の枠組みでは処理できないよじれた構造を持つ政治問題であることを、この事例は明らかにしていると思う。

このように、著者は精力的な取材をもとに幅広い観点から慎重に考察するが、単なる両論併記で無難に終わることはない。著者の主張を私なりにまとめると

  • 経済的には「フラット化」は不可逆に進行しており既に現実である
  • 「フラット化」が政治的問題として現在の枠組みで処理できない問題をたくさん産む。「Web党」と「壁党」の再編が必要なのでは?
  • 文化的問題としては、「フラット化」は「ローカル情報のグローバルな発信」を可能にするので、多様性と共存可能。むしろ「フラット化」は文化の多様化を推進する母体である
  • 「フラット化」にともなう環境問題は重大な問題であり、アメリカは認識を改める必要がある
  • 9.11等のテロは、「フラット化」の反対勢力ではなく「フラット化」によって可能となった「フラット化」の鬼っ子、「犯罪のサプライチェーン」である

特に、環境とテロについては、悲観的である。悲観的というのは著者のパーソナリティに合わないので、ちょっと違うような気もするが、この二つが「フラット化」世界における重大問題であり、「フラット化」推進が解決につながらない深刻な問題であるという認識を著者は持っている。

そして、「フラット化」に対する著者の最終的な結論は実に説得力があるが、これは、ぜひ本書を一読して味わってほしいと思う。だから、あえてここでは説明しないが、明快かつ、非常に感動的な結論がこの本にはある。

しかし気になる点がひとつある。この本の原題は、"The World *IS* Flat" であるのに、邦題は「フラット化*する*世界」である。意地悪く言えば、「これからフラット化するかもしれないけどまだフラット化してない昔通りのこの世界」である。「あなたが住んでいるこの世界は今現在既にフラットである」と直訳したら、日本では意味不明であるか無駄な反発を買って売れないのかもしれない。

「オオヤケ」的階層化のYahooと「Public」でフラットなGoogleで書いたように、日本人の精神の中には、根本的に「フラット化」と相性の悪い所があると私は思うのだが、さすがのフリードマン氏もここには目が届いていないようだ。訳者の方は、ぜひ、邦題を原題に忠実な現在形にできなかった理由を著者にフィードバックしてほしいと思う。

(追記)

ウォルマートの暗黒面については、下記のエントリが参考になります。

この本には、こういう所を実証的にとらえている部分もあって(ウォルマートに批判的とは言えないけど、同業他社と比較して負の側面があることはちゃんと押さえている)、そこが面白いと思いました。