虐待防止の公共広告が、すぐ青あざができる病気の子供への無神経な視線を増幅するという話

私もリンクした広告のことだが、これは確かに当事者にとっては切実な話で、うーむと考えさせられてしまった。

まず、ここだけはちょっと違うと思う。


虐待を受けている子どもが、こういうふうに穏やかにニコニコしている、つうのか。/見てわからんか。/バカか、おまえは。

親が虐待されている子供に求めたらその子は「ニコニコ」せざるを得ない可能性もある。そういう点に注意を促すことは、重要だと思う。

ただ、もっと重要なのは下記のポイントで、これは同感。


ジロジロ見る人、聞こえよがしにつぶやく人、それぞれに「善意」の持ち主ではあるのだろう。/先の広告はその「善意」を促そうという意図のものだろう。/しかし、実は「善意」とは「公共」の場で発動する(べき)ものではないのではないか。

「公共」の場で発動する「善意」は無責任なもので、人を傷つけることはあっても、人を救うことはできない。たまにできたとしても、まぐれあたりに近いのではないか。

問題の広告がそういう「善意」を求めているようには私には見えないけど、こういう「善意」が注意を要するものであるということには同意する。