SkypeVPNとどうぶつの森とケータイとエビちゃん

Tomo’s HotLine: Skypeの本質は多対多VPN

Skype自体はセキュアなVPNインフラであって、その上に対してVoIP,チャット,データ等どのようなものでも流通してもよいのである。SkypeAPIを提供してから、私はますますそのような見方が強まってきた。

プライベートの可能性を拡張するするケータイ派、鍵はエビちゃんの歩き方:できる!CSSを使いこなす

特に一部の「ケータイブログ」や「動物の森」、「mixi」ユーザは、公共性・シェアの可能性を広げるのではなく、プライベートの範囲とその可能性を広げているように見える。

「身体感覚」といういい加減な表現が妙に共感を集めていて自分でも不思議なのだけど、Skypeの本質がVPNであるなら、この身体感覚にフィットしたインフラになるのではないか。

SkypeとDHTのどちらがWeb3.0の覇者になるのか、まだ私には見えない。ただし、オープンな世界とクローズドの世界というのは、交互に現れるものだから、今度はSkypeのような知人だけにしかコネクティビリティがないシステムのほうが人気が出るかもしれない。

モデルが仕事として歩くというのは、多分に公共性を含んでいると考えると、「モデルなのに歩き方が変」というのは致命的欠点。だけどそのエビちゃんの歩き方も「自分のプライベートを拡張するとあの歩き方にいきつく【かも】」と考える身体感覚なら、むしろ長所となるのかも、なんて思った次第。

しかもどちらも、公共性(シェア)の拡大に対する揺り戻しを見ているという点でつながっているし。

「どうぶつの森」というゆるやかに閉じられていて微妙に開かれている世界という自分としては力作のエントリが1日で粉砕されたような気分ではあるけど、今これを見ると確かに私の視点は、公共性の側から見ていて、「プライベートの拡張」という視点が無いなあ。

「ケータイ」をひとつのアプリケーションと見て、ネットに移植するなら、認証と友達判定がかなり低レベルで実装されてないとうまくいかないはずだ。SkypeVPNの上に乗せるのが、一番安定した実装になると思う。

Winnyと「どぶ森」とThe Netは、巧みに設計された制限事項をユーザに提示して、ユーザが自発的にその制限をシェアすることを求め、それに同意する多くのユーザを集めた。そして、その制限事項はユーザをhappyにした。その点において、三つのシステムは同等である。

しかし、制限事項に同意しないユーザを、どのように排除したのかが違う。The Netはアーキテクチャー的に排除した。つまり、IPパケット以外のものは、The Netには侵入できない。しかし、Winnyと「どぶ森」は倫理的に排除している。制限事項に同意してない外部の人間が、プロトコルを解析して侵入してこないことを期待している。

ここに書いたような意味で、IPと同レベルのインフラにSkypeがなってしまえば、TCP/IPと同様に「アーキテクチャ的」に違反者を締め出せると思う。SkypeVPNに接続しない者は見えなくなって実質的に存在しなくなる。

あとは、Skypeプロトコルを公開できるかどうかなんだけど、ルート認証局としてデファクトスタンダードみたいな位置を確保してしまえば、プロトコル公開=オープンソース化は可能だろう。つまり、Skype認証局以外のルート認証局でSkypeVPNを運用することは可能なんだけど、圧倒的に友達がいないその世界には誰にも接続しないということ。これは、SkypeVPNが特定のアプリのインフラであったらできないが、その上に多種多様のアプリが乗っていたら独占したまま公開することが可能だろう。

ということで、TCP/IPが消えて、SkypeVPNの上に、どうぶつの森とケータイとエビちゃんが乗っかる未来を見た!という結論。

ちなみに「Skype八分」は起こらない。なぜなら、Skypeは全てがプライベートだからだ。全員が最初から最後までSkype八分になっているようなものだ。