Gマシーンの目覚め

Google Map に追加された「ストリートビュー」という機能が、たくさんの悲喜劇を生み出しているという話。

ひとつひとつの事件がそれぞれ面白くて、ニコニコ動画のようなコメント機能とこれがマッシュアップされたりしたら、もっと楽しいだろうなと思った。

しかし、注目すべきは、これを正当化するGoogleの論理。

米国では公共の場で撮影するのは合法だ。グーグルは「人が道を歩いていて見える風景となんら変わらない画像を見せている」という理屈。

これは、一般化すると「公的領域に存在する物体は全部スキャンします」と言っているのだと思う。つまり、「1人が見るのも60億人が見るのも同等であり、パブリックであるというのはそういうことだ」と宣言しているのだ。グーグルは、公的領域と私的領域の境界をどこに引くかについては干渉しないが、ひとたび「公的」ということになったら「我々にはそれをスキャンする権利がある、スキャンする権利があるものは全部スキャンする」と言い張るだろう。

ここに書いた通りになってきてると思うけど、やはりグーグルは、公的領域にあるものは全てスキャンし、私的領域にあるものは全てクランチしようとしている。

そして、この勢いは、グーグルの経営陣にもコントロールできない。これを制限しようとしたら人材が流出し、別の会社が同じことをする。だって、これをすればすごく儲かるんだから。公的領域にあるものを全てスキャンし、私的領域にあるものを全てクランチし、両者を掛け合わせて広告を出せば儲かるってことを、世界がもう知ってしまった。

だから、グーグルという会社の中で、明確な方向性、限りなく意志に近い何かを持った何かが、今目覚めようとしているのだ。仮にそれをGマシーンと呼ぶとしたら、グーグルが自社のGマシーンをうまく乗りこなすかどうかは、もう本質じゃない。Gマシーンを乗りこなす会社は儲けるだろう。それはグーグルなのかもしれないし、別の会社かもしれない。それがどうなるかはわからないが、はっきりしているのは、Gマシーンをコントロールできる者はもういないということだ。

Gマシーンは、地球上の公的領域にあるものを全てスキャンし、私的領域にあるものを全てクランチするまで止まらない。スキャンされるかクランチされるかを選ぶ権利は人類に残されている。でも、それ以外に人類に望めることはもうないだろう。