traceabilityのコントロール
トーアやWinnyのように、traceabilityを切るシステムは、ほぼできつつある。完全に確立した技術とは言えないが、理論的には、もうひと押しで完成する段階に来ていると思う。
ネットの世界では理論と実装の違いは大きいが、それでも、いざ作るとなったら、例えばGoogleなんかにやらせれば、3ヶ月で作っちゃうんじゃないか。
同時に、完璧なtraceabilityへのニーズも強くある。IPV6ベースで考えれば、根本的な未解決の難題はないと思う。実際に普及させようとしたら具体的な細かい課題はたくさん出て来るだろうが、これも、基本的には「できつつある」と言ってよい段階だろう。
上でリンクした思考錯誤さんの記事の後半は、traceabilityの社会的な評価に関することだが、技術的には現在、重大な岐路に立っており、これは緊急で重要な課題だと思う。「意見があるなら今のうちにどうぞ」ということだ。
私は、traceabilityを切るシステムが公共性には不可欠だと思うが、逆にtraceabilityを確保することが必要だと考える人もいるだろう。どちらにせよ、プログラマーやベンチャー企業が自分の回りだけ見て決めていいことではない。充分に議論をして、社会的な合意の元で意識的に選択すべき課題だ。
普通に考えると、両者は両立しない。トーアのように、traceabilityを切るシステムがあれば、それ以外に完璧なtraceabilityがあっても、そこを通すことで無効化できるわけだから、そのような部分ネットワークを持つネットワークは、全体としてはtraceabilityがないネットワークになる。
それでは、ある制限の元でトーアを使えばいいのだろうか。例えば、人権問題に関する告発等の特定の目的に限り、トーアを許可するとか。そういうやり方では、トーアの出口と入口を見張ることで、容易にそういう活動をしている人を割り出すことができてしまう。この場合は、全体としては完璧なtraceabilityが確保されたネットワークである。
普通に考えると、両立は無理なんだけど、ソフトの世界は天才ハッカーが無理難題を解決した事例であふれているので、うっかり「両立は無理」と言いきる気にはなれない。
これは、技術的な詳細を明確にして議論しないと結論が出ない問題だが、技術的な前提を明確にすることで議論から技術者以外を排除して、技術者が勝手に決めていい問題ではない。インターネットと公共哲学で書いた、「HowとWhatの不可分性」という問題が含まれているのだろう。
もちろん、traceabilityと言ってもいろんな側面、いろんな応用があるので、それを一括で論じるのはおおざっぱすぎるのかもしれない。が、結局、IPパケットのtraceabilityに集約されるのであれば、全部ひっくるめて一つの問題だと思う。答えは、YES/NOの二者択一で中間はない。
人類にはtraceabilityが必要なのか不要なのか。とりあえず、はやくスペックくれよ〜チンチンと言っておく。