自治会における勝ち逃げ問題
タイムリーなことにミ チ ク サ 日 記さんで自治会という名のという記事がありました。
総務費(自治会を維持するための費用)を除く、実質活動費の凡そ半分が「敬老費」「親睦旅行費」。役員および出席者は平均70代と思われる方々。つまり、数字上は自治会とは地域の高齢者の高齢者による高齢者のためのお楽しみサークルと思わざるをえない。当事者の意識は違うかもしれないけれど。
私も多少は地元の自治会に関わっていたことがあって、この感覚はよくわかります。
自治会って言うのは、予算規模が小さいから大きな問題にはならないけど、日本の構造的問題の典型例だと思います。きちっと理念や伝統的価値観があっての高齢者尊重なら全く問題がないのですが、そうではないような気がします。
今、自治会を運営している高齢者というのは、実質的には「(ほとんど)戦争を知らない子供たち」の世代です。若者の反抗をテーマにした「太陽の季節」でデビューした石原慎太郎の世代であり、「民主主義の世代」として、むしろ伝統的価値観に反逆する若い世代という自己認識を持っています。
そして、信念より利害あるいは方便として、伝統的価値観を利用する。運営の細かい決め事だけは伝えるけど、それをささえる伝統的価値観は伝えられないし、そもそもそれを持ってません。ドライな都会的な人間関係の感覚と、形骸化された伝統が、彼らの中で未消化のまま残されているのです。
そして、若い人がそれに対して改善の提案をした場合、高齢者自身が内部に持っている未消化の葛藤に巻きこまれるような議論になってしまいます。先方に確固たる信念があれば、それに反抗しつつも伝統として引きつぐことが可能ですが、彼ら自身が、伝統に反抗しつつそういう自分に目をそむける形で権威の側に立っているので、実りある議論はとうてい望めません。
議論はモメ事であり、モメ事は嫌だけど、だからと言って、自分たちが責任を持って独断で(ということは責任を持って)自分たちの価値観で判断するとも言ってくれません。従来通りの運営を、(民主主義的合意の結果として)継続することを望み、伝統的権威に頼ってそれを押しつけるのです。しかも、そういう偽の「総意」によって意見を封じられた側の気持ちが、ほぼ正確に理解できていて、そういうことをするわけです。ということは、これが近い将来破綻することが見えていて、その問題に直面しようとはしない、という意味で「勝ち逃げ」問題のように、私には思えます。
おそらく、これを改善しようとしたら、表面的な予算配分や運営ではなく、自治会というものの理念や地域の共同体のあり方を含んだ根本的な議論になってしまい、それが地域の人間関係に深刻な影響を残す可能性が強いと思います。運営側は、それとなくそういう潜在的な問題を示唆し、改善提案する人にその責任を負わせることで、提案を封じることができる、また改善提案しようという人も、真面目に地域のことを考えている人ほど、そのリスクを考えて動けない。そういう構図があるので、「敬老費」等を優先的に使う人たちの方が有利なのです。
ちょっと想像や推測もまじっていますが、自分がちょっと運営にからんでいた時に、フィールドワーク的に、いろいろな世代にそれとなくヒアリングしてみて、全体としてこんな印象を持ちました。具体的に運営の改善を考える人はほとんどいませんが、このような構図の問題を漠然とでも認識している人は世代によらず、かなりいるように感じました。それを総合してエッジを立たせて表現すると、こんな感じかなあという所です。