「モニターが悪い数値を出すのでモニターを壊せ」という議論
昨日の日本テレビのゼロで、地方議員の「費用弁済」という制度を取りあげていた。交通費の代わりに一日一万円程度の日当を、地方の議員が受け取ることを問題視しているらしい。あまりちゃんと見ていたわけではないが、テレビでやるほどの問題か?と思った。
議員年金も議員宿舎もそうだが、地方議員でも国会議員でも、選挙で選ばれる議員の報酬を削ろうという議論には根本的におかしいことがある。
現状、議員が報酬に見合った働きをしてない、という主張ならそれには同感だ。それを問題とすることは良い。
だが、「現状の働きに見合った報酬にダウンせよ」というのは本末転倒だ。議員には報酬に見合った働きをしてもらうべきで、それができないなら違う人にやってもらうべきだ。
税金の無駄使いは議員の責任だが、議員報酬という税金の無駄使いに限っては、責任があるのは国民だ。議員報酬の問題は税金の無駄使いではなくて「一票の無駄使い」という問題である。
むしろ、議員の報酬はアップすべき。二期くらいやったら、一生暮らしていけるくらいの金を出した方がいい。
そうすれば、「内部告発型議員」なんてことも可能になる。族議員の反対だ。特定の業界の内部で悪事のノウハウを知り尽くした人が議員になって、その業界とそこに巣喰う官庁を徹底的に改革する。手の内を知りつくしているからツボを押さえた制度改革を行うことができる。それをやったら、その人は裏切り者として人脈の一切を失うので、そうなっても困らないだけの年金を渡すのだ。なんなら、警護用にSPを10年間くらいつけてやってもいい。
それを各業界競争でやってもらえば、税金の無駄使いなんてあっというまになくなり、議員年金でいくら大盤振る舞いしたって、充分お釣りがくる。
もうちょっと現実的なことを言えば、議員報酬を問題視するなら、最初にすべきことは、国会議員の人数を減らすことで、次は投票率を上げるべく啓蒙すること。
逆にもうちょっと一般化して言えば、これは、「国会議員の人相が悪い」ということを「変えられない現実」と考える意識の問題だと思う。国会議員の人相が悪いから「あんな奴に高い給料を払うのがシャクだ」と思うのだ。立派な人がやってれば、そんなことは気にならない。
選挙が機能していれば、国会議員の人相の悪さは国民の成熟度のモニターだ。悪い数値を出しているなら、それが自分たちの意識の現状を反映しているものとして受け入れるべきだ。毎日毎日、それをテレビで直視して、少しづつでも改善していくしかない。
「国会議員をまともな奴がやるようにする」というのは、理想論でも空理空論でもなくて、今すぐにでも(次の投票日には)可能なことだ。
それに失敗したら、議員報酬と議員年金と議員宿舎の建設費と費用弁済として、税金で高い授業料を払うことになる。でもそれは、払う価値のある授業料だと思う。
国民の意識が変わらないまま議員報酬を上げたら、おそらくもっと人相の悪い奴が国会議員になる。それは、成熟度のモニターとしての感度が上がるということだ。だから、テレビでその結果を見ることはもっともっと腹立たしい経験になるだろう。私はそれをすべきだと思う。
「モニターが悪い数値を出すのでモニターを壊せ」という議論は、現実を直視することを回避しようとしている。そしてその「現実」とは、突き詰めて言えば、「自分たちが世界をどう見ているか」である。「世界は変えられるのであり、自分たちが納得できるように変えていくべきだ」と心底思えるまで、油汗をかきながら現実に直面すべきだと思う。
民主制度が良い制度であるのは、自動的に良い政治が行なわれるからではなくて、起こったことの責任を回避できる余地が少なくなるからだ。「あいつらが悪いから自分は不幸なのだ」と言い逃れることが不可能ではないけどかなり困難になるからだ。そういう世界に住めることは幸せなことだと思う。