幽霊の家-よしもとばなな


長い外国生活でちょっと肌の質感が変わったな、と私は思った。
それから、お菓子作りのせいで右手がとてもたくましかった。
肩も昔よりずっとがっちりして、顔も細くそぎ落とされた感じだった。
目も前みたいにぼうっと優しい感じではなく、孤独と自立を知っている大人の鋭い目になっていた。


ああ、こういうふうになりたかったけれど、こうなれる機会が日本にいたらいつまでもないから、彼は出るしかなかったのか、と私は目で見て納得した。

外国へケーキ作りの修行に行った彼と主人公が、8年ぶりに再会した場面の描写だ。ここを読んで一瞬、これが「耳をすませば」の後日談のような気がした。場面設定だけでなく、いい人しか出てこない物語であることや、全体を通したさわやかさのようなものが共通している。

しかし、こちらは大人の物語で「耳すま」にはないものが三つある。金とSEXとオカルトだ。この三つがリアルにきちんと書かれていて、それでも「耳すま」のようにさわやかだ。金とSEXとオカルトをリアルに書いてもドロドロにならず、むしろドロドロの方が空想的であると思わせるほどのリアリティと重さを持っている。

「金」は社会と自分のつながり、「SEX」は身体と自分のつながり、「オカルト」は世界と自分とのつながり。この三つのつながりが、どれも突出することなくバランスよく存在している。

特に、この主人公の女性と彼が、現代のこの世界の中で、どのようにお金を稼いでいるかが、非常に納得できるように書かれている。こういうふうにケーキや洋食を出せば、そこそこの売上はあるだろうと思う。最近、ばななさんはそこにこだわっているらしいが、これは本当にうまくいっていると思う。だから、ハッピーエンドにも経済的な裏付けがある。

ただ、当然、社会とリアルにつながる為に、身体や世界と切離されては意味がないわけで、同時に、彼女は、「この彼とこれから続けていくSEXは気持ちいいだろうな」と考えつつ、


もしも、もしもあの部屋で彼らを見てなかったら、私たちは結婚しただろうか?

などと考えるのである。「彼ら」とは表題である幽霊のことで、ここにおいて、金とSEXとオカルトがひとつに閉じて、短いこの物語はきれいに終わる。

「油がのりきった」などという言い方が最も似合わない人ではあるのだけど、ばななさん、いよいよ円熟期をむかえましたね。