欲深な老人をいかに介護するか

ハウルの動く城」を老人問題に関する分析と提言として見ると

  • 介護者は被介護者から呪いをかけられている
  • 介護者はかけられた呪いについて言語化できない
  • 被介護者は呪いをかけることはできるが解除することはできない

という設定は、現状分析としてなかなか見事だと思う。

それで、欲深な老人が国家権力によって無力化されて、呪いをかけられたニートのもとに突き返された時に、ニートは呪いをかけた団塊の世代の老人を介護できるかというのが、この物語のひとつのテーマである。

そのときに、ひとつの鍵として、ソフィーが怒る力を奪われていなかったということがある。ソフィーは、この理不尽な状況、特に自分がこの状態を言語化できないことに怒る。怒りのエネルギーで状況を動かしはじめる。ソフィーに怒る力が残っていたということが、どんな魔法より非現実的な、あり得ない設定に見えてしまうのだが、よく考えると、ソフィーが「こんなふうになっていても歯だけはそのままでよかった」とつぶやくシーンがあって、そういうものかもしれないとも思う。

もうひとつ、欲深な老人が配偶者の心臓を手にして離さないというシーンがあって、あそこで欲深な老人をブチ殺さないでいられる理由もよくわからない。しかし、ここにもひとつの筋は通っていて、この非常に困った状況をソフィーは配偶者と欲深な老人の二者択一というふうにはとらえていなかった。そういう問題設定ができれば、単純に説得することが可能であるという教訓だろうか。

もちろん、正月映画なので、あくまでこれはフィクション、ファンタジーの世界の中の出来事であるという解釈も可能である。

なお、言語化できない呪いは、直る時には知らないうちに直っていて、そこには「もののけ姫」のようなカタルシスはない。この点については納得できた。