ブログは「言論」か「商行為」か「風俗産業」か?

?なぜ「遮断された場」が必要なのか?という記事に、いくつか面白い反応をいただきました。

児童小銃さん


そうなんだけど、怒るためにはまず自由な言論が必要でしょう。

保護を受けられる立場 - Weblog


ただ怒って見せるだけなら別に構いませんが、法律をうまく活用して守ろう という場合は自分の身元を明らかにする必要があります。

solidhさんのコメント


なぜ「遮断された場」が必要なのか、ということですが、それはやっぱリアルがそもそも遮断されているからじゃないでしょうか。極端な例だけど、キャバクラに行っているときの顔は家族にはみせないわけで、家に携帯を置いているときにキャバ嬢から電話がかかってきて修羅場になるというのはベタな展開。そこまで極端でなくても、ある人には見せていない一面というのは誰しも持っているもので、その一面を出すのに遮断された場を求めているんじゃないでしょうか。

(こちらも同じ意見っぽい感じ)

私としてはどの意見にも「なるほどなあ」と思ってしまいました。

ブログを「言論」と見るか「商行為」と見るか「風俗産業的な何か」と見るかによって、この三人の方の意見の間をいったりきたりしてしまう感じです。ブログには、この三つの要素が混じっているものがあるのは確かだと思います。

それで、それぞれ三つのジャンルについては、それなりのやり方が確立されているわけですから、(「言論には匿名性が必要だ」という社会契約説から来る常識については、もうひとつ一般的でないかもしれませんが、一応その筋の人の間では確立されているとして)、「三つに分割しろ」というのが、ひとつの安易な解にはなるかもしれません。

つまり、「はてな言論部門」「はてなサービス業部門」「はてな疑似風俗部門」とか、分社化して、それぞれ別のルールを適用する。そして、それぞれの部門がそのジャンルにおける伝統的なルールを延長してルールを制定していけば、モメ事は今より少なくてすむでしょう。

しかし、そういうアプローチは、ブログとかWEBの本来の可能性を塞いでしまうので、私はやはりあまり好ましくないと思います。この三つのジャンルや他のいろいろなものが、ひとつの場にごっちゃになってこんがらがって存在していることが、ブログの面白さですから、やはりこういう異種格闘技的な議論をもっとしなくちゃならないんでしょう。