グリゴリの捕縛 あるいは 情報時代の憲法について
現在の市場経済システムは、プロテスタンティズムの倫理から「神」や「合理性」の要素を失って存在しています。ですから「利益のためなら不合理な行為でも行う」という利益至上主義に陥っているのです。
ハッカー倫理の示す合理主義には特徴的なものが現われると思います。プロテスタンティズムにおける合理主義は、世界全体が「そうあらねばならぬ」という価値観を基礎にしていましたが (たとえばピューリタンなど)、ハッカー倫理における合理主義は、自らが責任をもてる領域については 自らの「理」によって最適化をすすめますが、他人の領域については不干渉であると思われます。他人には他人の「理」が存在することを尊重するからです。その一方で、システム全体が合理的に機能するために、多数の主体が承認すべきインターフェイスやプロトコルについては、最大の関心を持って統一をすすめると見られます。これは、多数のコンピュータがインターネットを形成するときに採用された構造です。これが、社会のほかの領域にも適用されていくものと予想するのです 。
「一般教養としてのハッカー倫理」に大賛成。