失敗の天才の遺伝子
生き延びるためのラカン(18回)にフロイトの大失敗のエピソードが出ている。「幼少期から呼吸困難や神経性の咳、抑うつなどのヒステリー症状に苦しんでいた」ドラというクライアントを治療しようとして、クライアントからの重要なメッセージを見過して、明かに間違った対応をしてしまった話だ。
僕には、精神分析については浅い耳学問しかないのだが、これを読んで「こいつセンスねえなあ」と感じた。この失敗の意味は多少は知識がないと読みとりにくいと思うが、「転移」という考え方をおさえていれば、これが「あちゃー」と言うような目を覆うような失敗であることはわかる。今日本で臨床にたずさわっている人で、こんな失敗をする人はほとんどいないと思う。
もちろん、これはフェアな比較ではない。現在、臨床にあたる人は当然、フロイトの理論を体系的に学んでいる。「転移」はその中の必須項目であって、単純にハウツーになるものではないが、「これは難しいことになった。注意せねば」くらいは感じられなければ、試験に通らないだろう。
このドラの治療にあたる時点のフロイトは、当然、そんなことを学校で習ってない。「転移」という概念は、この失敗を元にフロイトが考えだしたもので、当時、フロイトだけでなく世界中の誰もがそんなことを習ってない。
でもやっぱりフロイトには治療者としてのセンスが致命的に欠けている。「転移」とは、無意識のよじれみたいなもので、たとえ知識がなくても、それをどこかで体感できなければいけないと思う。たぶん、現場で治療にあたっている人は、「転移」の授業で居眠りしていて、それを理解しないまま現場に出てしまったとしても(もちろん実際にはそんなことはあり得ないが)、このクライアントの前に立てば何かの危機感を感じられると思う。フロイトには治療者として何かが致命的に欠落している。
だが、それこそがフロイトの天才たるゆえんである。並の分析家ならば、たとえ「転移」について何も知らなくても、ドラを治してしまうだろう。フロイト以外の人がドラの治療にあたっていたら、ドラはもっと自然に直ってしまい、ドラの問題の本質に気がつくことはなかっただろう。そして、「転移」という概念が定式化されることもなかっただろう。
斉藤氏はこう言う。
でも、ぼくはフロイトを「失敗の天才」と考えている。フロイトの報告事例は、どれもすっきりと治った事例ばかりじゃない。このドラなんて、あきらかに失敗例だ。ところがフロイトは、失敗の経験から、いくつもの画期的なアイディアを発想した。いやほんと、フロイト先生が癒し系の治療名人なんかじゃなくて良かったと思うよ。ドラには良い迷惑なんだけどさ。
トップアスリートの遺伝子分析をするくらいなら、こういう「失敗の天才」の遺伝子を探してほしいものだ。真っ直ぐに正解にたどりつくことばかりにみんなして血眼になっていては、学問も経済も社会も芸術も人生も面白くない。
それに「正解の遺伝子」を持って生まれた子供なんて一番かわいそうだよ。僕は(フロイトには負けるけど)たくさんの失敗をしてきたが、それは全部、僕のこのポンコツの失敗作の遺伝子のせいだ。僕は失敗を遺伝子のせいにして、その寄り道を気楽に楽しむ。しかし、遺伝子が完璧で問題なかったら、その子供は失敗を遺伝子のせいにはできない。遺伝子が悪くなかったら、彼は失敗を自分のせいだと感じてしまい、深刻な精神的トラブルをかかえこむだろう。