誤報があればそれを自分でネタにする

誤報があれば公に訂正する」を一歩進めて「誤報があればそれを自分でネタにする」

クリティカルな誤報だと自分で判断したら、(上記の訂正手順を踏んだ後で)それをネタにすることで得るものがたくさんあると思う。私の場合は、自分のやっていることに関して、上に書いたように「スタンスを明確化するということ」という今までに持ち得なかった視点を得たような気がする。

もちろん、ネタにして書くその書き方はその人次第だが、自分がネタになってどう分析されて行くのかを見ていると、自分の手法やスタイルを意識することができる。

「essaさんの失敗の背後に何があるのか」をいつもの「圏外からのひとこと」のスタイルで追求したつもりなのだが、それによってその手法の切れ味や限界について、自分でよく把握できた。

さらに、副次的な効果として「ウェブログ・ハンドブック」の価値について再認識できた。あたり前のことがきちっと書いてある本は、トラブルでパニックしているような時にはとても役に立つ。