Freezing Point: 説教とは、転移なき強要


粘れない人には、どうしても「粘れ」、つまり「汝の欲望を諦めるな」という説教をしてしまう。 → 相手の自発的ねばりを起動し駆動するためには、やはり転移が必要ではないか。


たとえば私は野球が嫌いだが、イチローは好き。 → 各ジャンルに生きる各人が、そのジャンルにおけるイチロー選手のような飛び抜けた存在(転移対象)を目指せばいい。


説教とは、転移なき強要。

ある意味あたりまえのように聞こえてしまう話だけど、「転移」という精神分析の言葉を使っていることがポイントだ。

私もちゃんと理解しているわけではないが、「転移」とはクライアントがカウンセラーに恋愛感情を持ってしまったり、逆に肉親に対するような強い憎しみの感情を持つこと。カウンセラーがクライアントに惚れたりすのは「逆転移」という。フロイトはこういうやっかいな感情を治療の為のツールとして使うという暴挙に出たわけで、なんでそんな荒技が必要なのかと言うと、「直る」というのは、ある意味で違う人になってしまうことであって正攻法だけですむような簡単なことじゃないということだ。

ドロドロに癒着して引っぱり回し回されることが、あたりまえに必要なのである。

「大人になる」というのも、「直る」と同じくらい大きなギャップを乗りこえることなので、同じくらいの強引さが必要なのだと思う。若い頃のことは本当の意味では思い出せない。前世のことを思い出す方が簡単ではないのか。

「転移なき強要」という説教をすることは、自分の枠に引きこもったまま口だけが自動的に動いている状態で、ちっとも強引なのではなくて、だから効かないのだ。

本当の強引さは命がけであって、だから支援をする人が比喩でなくすぐ死ぬという話も、抽象的にはよく理解できる。個人が本気で「説教」の枠を乗り越えようとしたら、「そりゃ死ぬかもね」という感じ。

私は、だから、これはまず社会的な問題として考えるべきだと思うのだけど、昔より大人が少なくなったのだとしたら、問題は子供でなく転移対象を提供できなくなった大人の側にあるわけで、どうこうすべきかという問題もあるけど、どうこうするなら大人の方をどうこうしなくちゃ話にならないわけで、そういうことを言う人がまず自分の生活や生き方をいかに充実させるかをまず考えるべきだと思う。