ややこしい話


闇雲な疑問「なんで?」ではなく、仮定のある疑問「○○なの?」ならば、少なくとも「Yes or No」で答えられるのです。

みかけよりややこしい文章だけど、普通の「みかけよりややこしい文章」は意地悪な落し穴のように見えるのに、この「ややこしい話」にはやさしさと豊かさを感じる。

そのやさしさと豊かさのことを「文化的だなあ」と僕は思うのだけど、ふしぎ社会で「文化的」などという言葉を使うと、誰にどう誤解されるかわかったものではないので、やっぱりやめにした。

しかも、自己言及+自己否定を真似してみたけど、やさしくも文化的にもならなくて、ただのややこしい話になってしまった。