ネクスト・ソサエティーを告知する

タダ働きが世界を動かすは、確かに「わかりやすさとインパクト」を重視して書いたので、まつもとさんが「誤解が生まれる余地がある」と懸念されるのはよくわかる。

そこで、どういう誤解をされているのか考えようと思ってもう一度、匿名希望さんのツッコミを熟読してみた。そうすると、問題がもうちょっとややこしいように思えてきた。

まずこの人は「誤解」はしていない。この人はRedhatやCygnusが専従で開発している社員を雇っていることをよくご存知である。俺の文章を読んで「Apacheは週末プログラマのみで開発されている」と思ったのだろうか。全くの素人がそう思うことはあり得るが(そこは反省点)、どうみてもこの人はそうではない。俺よりそういうことをよく知ってるような気がする。

では、反論、あるいは異議だろうか?前半は「自分はREDHATとCygnusの状況はよく知っているが、あなたの文章はそれとは随分違うことを書いている。オープンソースの開発者の動機は利己的、経済的に説明できるのでは?」という異議と読むことはできる。しかし「実利的な点から言っても、「タダ働き」を前面に押し出すのはまずい」という表現を見ると、実体は「タダ働き」であるけど、それを強く表に出すべきではないという主張である。

結局両方合わせると、REDHATもCygnusも「タダ働き」であるけど、それを言うなという主張になる。「タダ働き」だけがオープンソースをドライブしているわけではなく、それと経済的利害や企業戦略が両方拮抗して事が進んでいる、素人向けには経済的利害に基づく(ちょっと特殊な)企業戦略として説明すべきである、ということだろうか。

こういう反論は予想していたし、俺にもどちらがいいのか確信はない。企業戦略の範疇だけでの説明は他にいろいろあると思うので、反対側を強調した説明がオプションとしてあってもいいだろう。実際にジジイ対応する人がどちらがいいか吟味して状況に応じて選択すればいいわけで、その場合二つ並べて検討できるほうがやりやすいと思う。

だがこの人は、俺に「タダ働きだなんて本当なのでしょうか?」と聞いている。もし、(半分でも)企業戦略や経済的利害としてオープンソースを説明できる自信があれば、そういうことは聞かない。皮肉で言っているのかと思ったが、「前面に」という表現がどうもひっかかる。もしこれが皮肉だったら、「前面に」とかそういう問題じゃなく、単純に「自分のような専門家でさえ混乱させられるのだから、こういう嘘を言って素人を騙すなんてとんでもない」と言うべきである。

で結論としては、これは「誤解」でも「異議・反論」でも「質問」でもなくて「否認」である。あるいは「否認」が基調となって他の三つが混ぜあわされている。そうなんだと言うことは誰に言われるまでもなく、自分が一番よくわかっているけど、それを認めたくないのである。そう見ると全部の文章の意図がよくわかってくる。

ネクスソサエティの到来は、従来の大量生産・大量消費に立脚した社会、価値観にとっては死刑宣告である。それを実感した場合に何が起こるか?キューブラー・ロス死ぬ瞬間で言っている

  • 第一段階/否認と孤立
  • 第二段階/怒り
  • 第三段階/取り引き
  • 第四段階/抑鬱
  • 第五段階/受容

という一連のプロセスの入り口に来ているのかもしれない。オープンソースに対する、理解しがたい、解釈しがたい反応は「否認」ではないか疑ってみたらどうだろうか。

ちなみに、マイクロソフトは否認(そんなことはありえない)と怒り(FUD攻撃)の段階を過ぎて、第三段階の取り引き(シェアードソース)まで来ているので、もう少しすると一切反応が出なくなって、その後「受容」の段階が来ると予想される。