森岡正博『生命学に何ができるか』

dokushaさんに導かれて読んだこの本が、弾圧されつつあるダムネットワークという思想のネタ本です。


自分が会いたくないような人間に出会ったり、自分が経験したくないような出来事がおきたりして、そのことによって私はおろおろととり乱すのだが、まさにその私の<ゆらぎ>によって思いがけない他人とつながってゆくことができ、自分自信も劇的に変容できる(P357)

この「レヴィナスが言うところの<他者の到来>」に対し、「取り乱しの権利」と位置づけて積極的に評価している所がすごく重要なことだと思いました。

パケットを認証すればネットの管理は容易ですが、その場合にネットにおいて「他者の到来」は起こらない。そのような「他者の到来」を許す為には、パケットレベルは認証しないで上位に認証のプロトコルを組んで、常に上位の認証をバイパスする余地を残す必要があるんです。そして、The Netの設計者たちは、かなりその意味を理解していて意図的にそれを選択したのではないか、そういうふうに感じました。

利用者同士が同意した時には、相手が誰であるかわかっている世界が作れるんですが、「他者が到来」することのないようにネットを規制することは無理なんです。

現在提案されているP2Pを規制できたとしても、IPの上に築くことのできるアーキテクチャは無限にあって、枠をはめることは無理だと思います。

だから、ネットでは常にワクワクすることが起きるんです。それは常に心地良いわけではなくて、「取り乱してしまう」ほど不快なこともあります。その取り乱しを「権利」という風に認識すべきである。取り乱しによって劇的に変容する自分にワクワクするからネットが面白いんだ。それを森岡さんから教わりました。