磁石と重石の発見:社会主義

実は、rir6さんの記事を読んで一番驚いたのが、末尾に引用されていたこの記事です。

rir6さんの記事を読む少し前に、私もこの記事に共感して、これを引用して記事を書きはじめたんです。


なんとなくだけどね。朝日もNHKも、安倍、中川の「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」もそして「VAWW−NETジャパン」にも同じような嫌らしさを感じるんだよね。


それは何かというと「この社会はコントローラブルなものである」と思い「わたしがこの社会を変えなければならない」というようなひん曲がった使命感と言うか、エリート意識と言うか、選民思想と言うか。


社会主義(「VAWW−NETジャパン」が社会主義だといっているわけではない)も国家社会主義(「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が国家社会主義だといっているわけではない)も共に「社会主義」であろう。そこではエリートの思い上がりと腐敗が生まれる。そして理想に燃えた(萌えた)社会建設の掛け声の下、国民がないがしろにされるんだ。それが組織というものの一面であり、歴史が教える教訓だ。

引用した箇所もほとんど同じで、その後に書いた言葉も同じで、私も「でも…」と書いて、止まってしまったんですね。それで、私はその書きかけの記事は捨ててしまいました。

「この社会はコントローラブルなものではない。では私は何をやってるんだろう?」その続きをずっと考えて、出てきた一つの結論が、目的としての政治です。

そこには、森岡正博さんの影響もあって、それを読んだのは、dokushaさんの私への言及がきっかけで、そのdokushaさんの記事の同じ所を切りとって同じことを考えた人がいて、この世はコントローラブルなものではないけど、巡り巡ってつながってるなと感じます。