不確実性・価値・公共性をめぐるリスクコミュニケーションの諸問題
遺伝子組み換え生物(GMO)のような科学技術のリスク評価については、専門家と一般市民の間に大きな隔りがあります。
専門家の側から見ると、一般市民の反応は「無知による情緒的反応」とされがちですが、この小論は「一般市民の否定的態度の原因は、専門家集団とは別の問題枠組み(フレーミング)や別の種類の知識に基づく知的判断である」という観点から問題を違う方法で整理しようとしています。
つまり、次のような点で、一般市民の持つ役割をプラスに評価しています。
- 専門家は、「知られているリスク」に焦点を当てがちなのに対し、一般市民は(科学・専門家の)「無知」や不確実性に、より大きな焦点をあてる。
- 専門家は「予測・制御」の価値を信じているが、一般の人々は人間の力を超えたものに対する「適応」を重視。
- 専門家より一般市民の方がフレーミングが幅広い(多様な立場・背景による多様なフレーミング/専門家ゆえの狭いフレーミング)
そして、これを受ける専門家の側に次のような思いこみがあると。
- リスクに関する科学的判断は価値中立的であり、リスク評価は専門家だけで行うべきだというという前提
- 人々が科学技術に抱く否定的態度は無知に基づく情緒的反応だという前提
- リスクの問題は、科学技術が生産・利用される幅広い社会的文脈から切り離し可能であり、科学的に評価し技術的に処理しうる範囲でのみ定義できるという前提
- 一般の人々は非現実的な「ゼロリスク(絶対安全)」を要求しているという前提
この構図が、人権擁護法案反対運動に対する専門家の側からの批判に通じる所があるような気がします。
なお、私はここでは専門家を非難したり批判しているわけではありません。ギャップの構造が似ているように思えて、そこが気になるので、とりあえず紹介したいだけです。
参考までに、この論文の平川秀幸氏のインタビューです。