「私」という嘘

この記事は難しいけど本当に面白い記事で、特にこの部分


しかし僕は確かに「『私』によって裏打ちされたもの」を単純に信じることは出来ませんが、しかしだからといって「『私』を捨て『私たち』となり正しさ』ではなく『私たちに良きもの』を目指す」方向もやはり嫌なんですね。じゃあ1の選択肢(「『私』という嘘」がばれたことを隠し、再びあえて「『私』という嘘」の庇護のもとに他人の嘘を暴く)を選べば良いかと言えばそんなに単純な事じゃないわけで??

には、すごく共感したので、読んだ時にすぐうなずき系でリンクしようかと思ったのですが、よく読むとここで批判されているのは、私なんですね。私がこれに共感するのは、私が私を批判しているからなのだろうか?批判しているのが「私」という嘘なのか、批判されているのがそうなのか?

その謎が解けなくて、しばらく考えてみましたが、やっぱりわからない。なので、個別に多少の異議がある所だけ指摘しておきます。


「(書く)俺」の権力が「(読んでいる)お前」によってでしか発揮されないということなのですから、それは結局「私」ではなく「私たち」に成ってしまうわけで、それはつまり2の選択肢(『私』という嘘」をばらし、創発的権力のもと「正しさ」ではなく「それが『私たち』にとって好ましいかどうか」で情報を判断するか)を選ぶということでしょう。

「(読んでいる)お前が正しいと思うから、正しいのだ」という言葉に対する批判ですが、正当性の根拠を読者に置いたとしても、それが自動的に書き手と読者が融合した「私たち」になるということではないと思います。自分のブログへの言及に対する私の受け止め方は、個性のある「私」と「私」の対話です。

私にとって気になるのは、短かくても批判であっても個性のある「私」から発せられた言葉であって、そこには、「私たち」というものは存在していません。「自分の文章を読んでくれる」ということは嬉しいですが、「みんなに支持されている」という感覚は持ったことがないです。(私のなかのムスカ大佐が「嘘だ!」と叫んでいますが)

だから、他のブログでも2ちゃんねるでもそういうことが起きていると思っています。人間は、自分の経験から世界を見るしか無いわけで、私にはそうとしか思えないし、それを前提に考えるしかないのです。

そういうたくさんの「私」と「私」の相互作用、対話が集積して何が起こるのか?それは想像もつかないのですが、その途方もない謎を矛盾を含む「創発的権力」と呼んでみたわけです。それがいいことなのか悪いことなのかも、全くわかりませんが、単純な「私たち」ということではないと思います。

それと、この記事の問題提起全体としては瑣末のことですが、


まず、NHKの人達はこの問題をそんなに大きな問題とは捉えていませんでした。事後にしろ政治家に放送内容を説明するということをしているという事はNHKも認めたということからもそれは明らかです。


しかしながらNHKの外の人々はそれを普通だとは思っていなかったんですね。ですから、この問題はNHKの予想に反して大きな拡がりを見せた。この「予想に反して」という部分をこのブログの人は(故意にしろ過失にしろ)忘れています。

それを予想できないとしたら、NHKという組織の中で幹部にはなれないでしょう。

NHKが政治的圧力で番組改編をしたとしたら、その圧力は常時継続的にあるもので、安倍氏のような自民党の実力者は、常にその意向をうかがうべきスポンサー的立場です。同時に、その人たちを目の敵にする朝日新聞のようなマスメディアは、注意すべき存在です。

特に、この問題では放送直後から裁判になったり国会喚問があったりで、政治問題になっていることは認識できているはずです。そして、左翼的な現場のプロデューサーとの軋轢があったとしたら、相手側にとってはこれが大きな問題であることは実感するはずです。

私は自分の経験からもそう思うのですが、組織の中で泳いでいる人間は、「正しさ」より「損得」に動物的な感覚で反応するものです。また、「先方はこれをどう受けとめるか」ということを常に考えています。そういう反応ができない人には、重要な責任をまかせられません。NHKの幹部達自身にとっては、この問題はそんなに大きな問題ではない、そもそも全くどうでもいい問題でしょうが、それは彼らの行動原理にはならないでしょう。スポンサーにとって、それが何を意味するかが重要なことです。

もし、スポンサーの立場を理解してなかったら、そういう人間は、はずされます。だから、松尾氏が自分の価値観のみで判断して、それを本田記者がどう利用するか予想できず、スポンサーの安倍氏を苦境におとしいれるようなことをしてしまったら、そういう人間は、スポンサーからの指示で閑職に追いやられます。大問題となった後に松尾氏が前面に出るような形で対決することを、安倍氏は許さないでしょう。(その政治的圧力をNHKがはねつけられるとしたら、話は別ですが)


どちらが嘘でどちらかが真実であるという結論を出さなければならないという風なこのブログのルールに則るとしたら、

そんなルールは自分にも人にも課していません。

自分が大事だと思ったり、おかしいと思ったことを(自分の時間と能力の限界の中で)一生懸命考えて書けばいいと思っています。