すでに起こった未来の話:解説編

これは、昨日書いたストーリーの解説です。

まず最初に言っておくと「おそるおそる47番の男を弁護した男」は私自身ですが、それ以外は、特定の誰かを想定して書いていません。

それで、この比喩で明解になることは、乗務員=警察は悪くないと言うことです。彼らには、47番の男が本当に凄腕のパイロットなのか、ただの飛行機オタクなのかわからない。だから、彼が強引に操縦してしまったら、何が起こるかわかりません。彼の行為を止めようとするのは当然の行為だと思います。

今、議論になっているのは、47番の男が操縦室のドアにたどりつく前に、乗客用の通路を歩いている段階で彼を拘束したこと。乗客はこれを見て「自分だってトイレに立つこともあるから、通路を歩いただけで捕まってはたまらない」と思っているわけです。

私もこれは不当逮捕であると言いました。操縦室のドアにたどりついてから拘束すべきじゃないか、つまり外形的な不法行為が明確になってなければ逮捕は不当であると言いました。それに対して、乗務員を支持する人は「彼は胴体着陸を強行する意思があった、本人がそう供述している」と言います。その点では、警察の言い分が正しいのかもしれません。しかし、これは重要な論点ではありません。

また、もうひとつうまく状況を反映していると思うのが、このストーリーの登場人物は、誰も間違ったことを言ってないこと。いいかげんな野次馬以外に間違ったことを言っている人はいません。特に機長が言う、胴体着陸と旋回飛行の比較は間違ってはいない。つまり、47番の男が言う「P2P+デジタル証券」という大胆な提案には、問題が多いことは確かです。最悪の場合、それによって日本経済がクラッシュする可能性だってあるでしょう。それと旋回飛行、つまり無為無策問題先送り現状維持の政策を比較したら、何もしない方が見かけのダメージは少ない。

機長は状況が認識できてないと思うけど、間違ったことは言ってないし、ある意味賢明です。「永遠に旋回飛行を続ける」と言ってくれれば、その間違いを指摘して、この機体をどうやって「すでに起こった未来」空港に着陸させるか議論ができる。つまり、文化政策とIT政策の本質的な衝突や海外との関係で永遠の旋回飛行はできないことを、論議できるんです。彼らはそういう議論を巧妙に回避しています。つまり、ソフトランディングに向けての具体的な改善提案を何もしない。

それと、我ながら「うまい」と思ったのが、この飛行機に乗っている人は、誰も自分がその危うい機体に乗っているという自覚がないこと。「おそるおそる47番の男を弁護した男」つまり私も含めて、なんとなく永遠に現状維持が続くような幻想を持っているんです。

あらかじめ明言しておきますが、私はこれに限らず圧力がかかったらすぐ黙ります。カッコいいことはたくさん言うけど、言行一致を通す覚悟なんてない。私は、47番の男以外で誰より状況を正確につかんでいる男としてストーリーに登場しますが、「黙る」ことによって自分の運命がどうなるのかだけは認識が薄い。だから、黙ってしまうんです。この人も馬鹿。ある意味一番馬鹿。

もちろん、機長も乗務員もそれがわかってない。乗務員の行動は正しいけど愚かです。自分たちを救える唯一の男を縛りあげてるんです。

この飛行機に乗っている人の中で、燃料切れとクラッシュという事態を明確に予想して、その機体に自分が乗っていることをしっかり認識しているのは、47番の男だけだと思います。

ただ、唯一、このストーリーと現実が違う所があります。このストーリーの中では、事態の責任、やがて起こるクラッシュの責任を負うべき「機長」という人が存在しています。機長が、現実を認識して、47番の男の話をよく聞いて、彼の操縦の腕前と自分それを比較して、彼に操縦席を譲るべきだった。彼にはその責任があって、明確に彼はそれを怠っている。だから、このストーリーについては、機長の責任を問題として、彼を責めればいいんです。

現実のこの国には「機長」がいません。文化政策の長期ビジョンを作る責任者はいったい誰なのか。47番の男はいったい誰に自分の認識した危機を訴えればよかったのか。

彼の認識した危機はただの妄想かもしれません。「すでに起こった未来」空港に着陸する必要なんてないのかもしれない。アメリカはiTunesなどのダウンロード販売で「すでに起こった未来」空港に着陸しつつあります。この着陸がこのまま無事に行くかどうかはわからない。まだまだ、未知の事故の危険性がたくさん残っています。着陸は不可能ではないが、その影響は予想できないし、旋回飛行の先に何があるのかも、厳密に言えば確実に予言できる人はいない。しかし、それについて議論し、47番の男が自分のプランをぶつける先の責任者はいないし、彼の案と比較するための原案がない。

彼が乗っていたのが他の旅客機だったら、彼は見事胴体着陸を決行してヒーローになっていたでしょう。あるいは、機長と議論して引き下がるかもしれない。彼はハイジャックしようとしわけではないので、相手をする機長がいれば、ちゃんとルールにのっとって話をしたと思います。

そして、この状況は文化政策に限らず、他のさまざまな分野でも言えることです。同じ構図がある。ただ、「47番の男」がいたのがこの分野だけであったと言うこと。だからこそ、彼の体をはった提言を重く見るべきだと思う。