FUDは死の徴候

抵抗勢力の政治手法はFUDだ」というshiragaさんの指摘は実に鋭いと思う。

FUDは死のプロセスの一段階であるとしたら、これは何かが死につつある徴候である。ただし、死につつあるのは一部の与党議員ではない。政治家というのは、共同幻想を人格化してしょいこむのが商売だから、実際には日本人の精神のある部分が死につつあるのだ。

改革とは、それが本物であるなら常に死と再生のプロセスを含む。

これは他人ごとではなくて、「理屈はそうだけど世の中理屈どおりにはいかないからねえ」などと言う、自分の頭の中のある部分が、本当に死につつあるのだ。そのようなプロセスは誰にとっても痛みを伴う。痛みを否認すると必要以上に話がややこしくなる。しかし、痛みはどうしても痛い。FUDというかたちで痛みを引きうけてくれる与党議員に俺は感謝する。