団塊の世代は「死に方」を見せよ!

H-Yamaguchi.net: 人口減社会は明か暗か、という話


実は、これだけ意見が対立していながら、いざ社会制度をどう変えるかという話になると、この両者の主張はけっこう似通っている。

現状認識ではほぼ一致していて、フレーミングの違う二人の対立。

私は、堺屋氏の主張に基本的には賛成だが、欠けているものがひとつあると思う。

団塊の世代が「死に方」を探してくれれば、「現役世代の不安と不満」の多くは、解消される。定年を過ぎたら、残りは「死」に向かって生きる時間だ。「生き方」でなく「死に方」を見せてほしい。

人間には、「死」と真正面から向きあって生きる時間が必要なのだと思う。自分が死ぬことを意識して生きる時間が必要なのだと思う。しかし、現代社会は、自分が不死の存在のように錯覚して生きることを強制する。だから、我々は、いつどのように「死」と対峙したらよいのかわからない。


堺屋氏は、これからの時代を、「現役世代に不安と不満が満ちあふれる時代」とみるのではなく、「団塊の世代が社会的束縛から解き放たれる時代」とみた。

現代社会は、「死」を過度に隠蔽するから、不安が過剰になるのだ。それは、本来「社会的束縛から解き放たれ」た人たちの仕事だ。それが可能な人が大量に出現し、「死に方」のお手本が量的に十分供給されれば、現役世代の不安は、ずっと軽くなる。もっと生きる方にエネルギーが向くから、生産性も向上して、経済的には大きな負担を担えるだろう。