artonさんへ

「結論が異なることはこの場合問題ではなく、何が問題かという想定が重要だ」というのはまさにおっしゃる通りです。これを私なりに解釈すると、「電波」が重要なのであって受信機は重要ではないということになります。

ここで何度か書いているように、私はここに書いていること全てが私の脳内で生まれたという感じがしないのです。「誰かが送りつけてきたものを書いている」というほうがしっくりきます。別の言い方をすれば、「誰か他の人が作ったソフトを自分の環境で動くように移植した」、という感覚です。

ソフトの移植は、オリジナルの環境、言語と移植先の環境、言語の違いによって、コーディングのレベルで1行づつ単純に書きかえればすむこともあるし、元ネタのアイディアや画面設計だけ使って、中身はほとんど移植する人が一から設計したような場合もあります。それと同じように、ほとんど自動筆記に近いようにスラスラ出てくる場合もあるし、頭をヒネりながら一生懸命推敲して書いていることもあります。どちらにせよ、根本のアイディアのようなものは外から来ている感じがします。

そして、なんとなくartonさんには、元ネタにあったことと私がつけ加えた所の区別がついているような気がします。つまり、artonさんが問題意識と言っているのが元ネタで、結論と言っているのが移植作業のような気がしてます。

「自覚無しにOSを使うことの危険性」の最後のパラグラフは、明らかにオリジナルのバージョンにはなかったものです。あれを書いた時は、その前まで書いた所で、筆が止まってしまって困ってしまいました。文章としては完結してないのですが、オリジナルバージョンはあそこで終わっていたのです。私はもう眠かったので、自分で結論として最後のパラグラフをつけ加えて終わりにしました。一応読みかえしてみましたが、自分ではこれで筋が通っているような気がしたので、そのまま送信しました。

artonさんはそのセンテンスに違和感を感じられたのだと思いますが、私としては「その機能はオリジナルにはないだろ」と指摘されたような感じがしました。移植担当としては、「こういう理由で追加した機能です」と言い訳を言いますが、移植する人が元のソフトの設計思想を全て理解しているとは限りません。emacsを移植してxyzzyができてしまったら、ヘビーなemacsユーザは「違うだろ」と言う思いますが、そのような状況が起きているような気がします。

私の意図としては、xyzzyよりはオリジナルに忠実なemacsを目指しています。つまり、自分の意図を含めるよりは、神様の言うことをできるだけ忠実に再現したい、と思っています。ただ、あちらとこちらの環境は相当違いますので、移植者が作らなくてはいけないこともたくさんあって、忠実な移植は難しいとも感じています。

いずれにせよ、問題のとらえ方とか視点のほうであって、他のことはそれを説明するための方便だと言うのはまさにそのとおりです。他の人のツッコミを見ても感じることですが、本職のライターでも、自分の書いたものをこれくらいきちんと読んでもらえる人間はそれほどいないような気がしています。その点ではみなさんに感謝しています。