国家という複雑系を誰の手にゆだねるか?

さすがにこれだけの分量を毎日のように書いているとマンネリは避けられないが、コンピュータ技術者が政治的な発言をするべきだと話をもう一度する。これはモラルや政治力学的な観点から言っているのではなく純粋に技術的な観点から言っていることだ。

つまり国家というものが、コンピュータシステムと官僚組織と市場のどれと一番よく似ているのかという話だ。

コンピュータシステムの中には、WEBサーバとかEJBコンテナとかデータベースとか、いろいろなサブシステムがCPUとかメモリのような資源の取りあいをする。各サブシステムは、軍隊や官僚組織のように中央集権的な指揮命令系統で動いているわけではない。かといって、市場の参加者のようにそれぞれが独立して存在しているわけでもなく、複雑にからみあって相互依存している。そのくせ、お互い仲良く話しあってメモリやCPUをうまくわけあってくれと言おうとしても、そんな都合のいいコマンドはない。コンピュータの中だけでも充分ややこしいのに、これに人間系という奴が呼びもしないのにからんできてさらに事態を紛糾させる。

こういうシステムは複雑系と言うのだが、コンピュータ技術者にとってはそれが机上の空論や抽象的な学問ではなく、多くの場合「いまそこにある危機」だ。各サブシステムがみんなそこそこハッピーになるようにしないと、約束したレスポンス3秒が確保できない。客が怒る上司が怒る部下がやめる正月がなくなるボーナスがなくなるカミさんが怒る胃が壊れるどうしろってんだバカヤローな問題である。人間は普通、こういう状況では何かを学習するものだ。

このように複雑系の挙動について体感的な学習した人が何万人といるのに、これを使わない手はないと思う。とりあえず、該当者の人は「自分たちは官僚や政治家や大半の国民や学者たちより、国家をどうすべきかよく知っている」ということを知っておいてほしい。