サンデーモーニング

サンデーモーニング大江健三郎が出ていた。私は随分前は「サンデーモーニング」と「知ってるつもり」を毎週欠かさず見ていたが、いつの頃からかどちらもほとんど見なくなった。裏番組を見るようになったこともあるが、何となく関口宏に漠然とした不信感のようなものを抱いたからでもある。自分でもいまひとつはっきりしていなかったが、大江健三郎という鏡に照らし出されて、そのいかがわしさがはっきり見えてきたような気がする。

大江健三郎は、最近新作を発表したそうでそれにからめて「家庭とは魂のことををする場所」とかいう話をしていた。彼の小説と同じように具体的でありながら、難解な話である。聞いていて疲れる話でもあり、テレビには向いていない素材であるのは間違いない。司会者というのは、こういう時いろいろな芸を使って、見ている人が飽きないようにする。関口がそれをしていることは当然だと思うのだが、そういうつっこみやら要約やらが「タメ口」なのが見ていて不快だった。「タメ口」と言っても、言葉はもちろん丁寧なのだが、彼の内面的な態度のようなものが「タメ口」なのだ。敬意がないし、大江健三郎の真意を汲み取ろうとしているようには思えない。そのくせいろいろ口を出して余計なあいずちをうつ。変に要約したりして、表面的にはわかりやすく解説しているようで、実は話の流れの腰を折りまくっていた。

そして、大江健三郎という人はさすがに大人物で、そういう共感のない聞き手にも微動だにしない。ニコニコとして真摯に話を続けていた。途中でスタジオにいた学生で彼の新作を読んだという人が一生懸命感想を述べると、心底嬉しそうにしていた。プラスの波動はしっかり受け止め、マイナスの波動は存在しないように振る舞う。別にガードして心を閉ざしているわけではなく、オープンなのだが全く影響を受けない。良質の鈍感さ。

彼の小説のような祈りにも似た壮大な無邪気さをかいまみたような気がした。おそらく*村上春樹*はあのように無邪気にはなれないだろう。村上春樹の小説は、一切時事問題や政治経済を扱わないのに、社会と密接なインタラクションを持っている。彼がアンダーグランドというモロに時事問題を扱ったノンフィクションを手がけたから言うのではない。逆に、ノンフィクションが彼の作品群の系列の中にすっぽり、何の違和感もなく収まるほど、彼の小説は外に対して開いている。大江健三郎のそれが彼の純粋な魂の独奏会であるのと違い、村上春樹は常にセッション、インタラクションを基本として創作している。

サンデーモーニングの前には、8チャンネルでソフトバンクの孫さんと堺屋長官、それから竹村健一という豪華メンバーナスダックジャパンの話をしていた。

  • 孫: 「ナスダックジャパンの構想を発表したところ、800社以上からぜひ上場したいと熱心な問い合わせを受けました 。このような若い有望な事業者に世界中から資金が提供されます。そういうチャンスを・・・
  • 堺屋(割り込み): 「若い人だけじゃありません。年取った人の中にもいますよ」
  • 孫: 「そうです。マクドナルドは65才からあの事業は始めたんです。」

という強烈なインタラクションがあった。つまり、活力のある自由競争を歓迎するのは若者だけかという堺屋の問いかけに、孫は瞬間で反応したのだ。話の流れで「若い人」といったけどそれは年齢ではない、チャレンジ精神のある人のことだ、と。このやりとりは、一瞬のことだがすごく重要なテーマであり、意味する所は深い。表面的には、日本に自由競争が合うのかという形で司会者が繰り返し、孫に聞いていたがうまく話を引き出していない。堺屋は、珍しく人の話に割り込む形で発言して、そこを突っ込み孫はちゃんと受け止め切り返した。

この人たちは、金のことしか見えてないかもしれないが、非常にセンシティブで外に向かって開いた魂を持っている。自分の仕事が本当に好きな人は結局そうなるのだと思う。関口宏に欠けているものはそれだろう。