同床異夢ableでなければプラットフォームと言えない
プラットフォームとは、「同床異夢」という言葉の「同床」の床のことである。そこにのっかっている人たちが、それぞれ違う夢を見ることができてはじめて、それをプラットフォームと呼ぶことができる。
そういう観点から見ると、次の発言はとても重要なことを言っている。
作者を信頼できなくても、作者がコントロールを失うことを信頼できれば、安心してその床に乗ることができる。基本的にプラットフォームはオープンソースをベースとすべきで、そうでないと作者からどんな意地悪をされるかわからない。
日本の会社だと、経営者はさまざまなしがらみの中にあって、常識外のことはほとんどできない。そういうケースなら、作者を信頼できなくても、作者を縛るしがらみを信頼して、そこに乗るという選択はあり得る。でも、アメリカの企業にはそういう常識は通用しない。
アメリカの企業も上場して一人前になれば、社会からそれなりの制約は受けるが、むこうは事前にチェックしようとはせず、何をやってもまず見守って結果を見てから判断する。事前にチェックして差し止めようとする日本とは違う。
こんな動きがこれから続々出てくると思うけど、アップルというプラットフォームに乗るなら、それなりの覚悟が必要だ。
アップルというプラットフォームは、どう見ても、同床異夢ableではない。
孫さんは、そのリスクがわかっていて、あえて乗っているような気がするが、これから、その点をよく考えずに乗る企業が続出しそうな気がする。
iPhone上で動くソフトを開発し、それを重要な基盤としてビジネスを行なうことは、ハイリスクであって、そのリスクの性質は、過去のどんなプラットフォームとも違う。
WindowsをはじめとするパソコンOSでは、OS作者にどんなに嫌われても、ユーザが望む限りソフトを実行する手段はあった。iPhoneでは、ジョブズの判断は絶対的で、ジョブズが駄目だと言ったら、ある日突然、そのソフトが実行できなくなる可能性がある。違う床、つまり、アップルと競合しない分野や競合しない規模のビジネスであれば、それなりの自由はあるが、ひとたび、アップルと同じ床に乗ろうとすると、違う夢は見させてくれない。本や雑誌は相当危いと思う。
AndroidのようなオープンソースのOSであっても、端末の環境はキャリアやメーカーに縛られるケースはあるが、キャリアやメーカーはそれぞれ競合しつつ独自の判断で、動いてよいソフトを選択する。大本のグーグルには、その自由がない。
オープンソースでは、そのソフトに対する権利について、作者は特別扱いされない。グーグルには、Androidを自由にする権利がない。キャリアはいつでも自分のユーザと一緒に、グーグルと違う夢を見ることができる。
実際に、Androidを採用したベンダーの多くは、グーグルを信頼している度合いより警戒している度合いの方が大きいだろう。
ビジネスとはそもそも同床異夢で、だから、契約というものが非常に重要だ。オープンソースは、契約というシステムに匹敵する大発明で、これによってビジネスの環境が広がる。
知識経済ではネットワーク効果が大きくなるので、たくさんの夢を乗せるプラットフォームが非常に重要になる。そこにみんなが乗るためには、契約というルールに合意することと同じレベルで、オープンソースをベースにすることが必須になるだろう。契約は自分のコントロールを強化することで、オープンソースは自分のコントロールを意図的に放棄することで、これからの経営者は両方の実務を知りつくして、両者を駆使して同床異夢ableなプラットフォームのあり方を模索していくだろう。