まだ見ぬプラットフォームに対するガバナンス
私がテレビを見なくなった理由のひとつは、CMが面白くなくなったからだ。
逆に言えば、テレビを見てしまうのは、なんとなく流しっぱなしにしている所に飛びこんでくるCMの中に、すごく印象的なものがあったからだ。そういう素晴しいCMがあるから、番組が終わってもテレビをつけっぱなしにしていて、つけっぱなしにしているから、そのまま次の番組を見てしまう。
テレビが、全体として一般消費者の時間を獲得する上で、CMの果たした役割は番組よりずっと大きかったと思う。
iPhoneのアプリの中でCMを見せる iAd という仕組みは、そういう「見て面白いコマーシャル」を復活させるのではないかと思う。
iPhone OS4 のイベントの中で、トイストーリーのCMとして、それがデモされている(下記動画の6:10頃から)
- アプリ内のバナーをクリックするとHTML5で書かれたメニューが出る(6:40)
- 音声つきキャラクター紹介(7:00)
- 動画の再生(7:30)
- 横持ちにしてフルスクリーンで再生(7:55)
- ミニゲーム(8:10)
- iPhoneの壁紙のダウンロード(8:40)
- GPSの現在位置と連動した映画館のチケット購入(8:55)
- いつでも、左上の×印をタップすることで、アプリに復帰できる
この方法で、昔の面白かったテレビCMが復活したら、CMは邪魔にならない。むしろ、新しいバナーを見るたびに、ついついどんなものか覗いてみたくなるだろう。
それが進めば、以前のテレビにおけるCMと番組の関係と同じようなことが起こる。つまり、アプリが同じことの繰り返しで飽きてきたとしても、その中で見るCMに期待して、アプリを起動してしまうのだ。面白いCMを見ることができたら、アプリ本体がつまらなくても、CMに期待してとりあえず起動してつけっぱなしにしておく、みたいな習慣を持つユーザが出てくるのではないかと思う。
というか、自分はそれになりそうな気がする。
そして、上記のデモでは、iAd の中から、GPSの現在位置に近い映画館をマップ上に表示するようになっている。さらに、その地図上の映画館をクリックすると、そのまま映画のチケットが購入できる。
動画やゲームのような動的コンテンツでユーザの気を引いて、そのまま直接ユーザのアクションにつなげることができるわけだ。これは強力だと思う。その分力の入った動画が使われるだろう。
検索連動広告は、「ユーザに必要な広告のみを表示する」ことはできるが、「ユーザが必要を感じてない広告を見せる」ことはできない。
雑誌、新聞、テレビ等のアプリ形式でコンテンツを配布しようとしている旧メディア企業にとって、iTMSの少額課金よりも、むしろこの iAd の方が重要なプラットフォームになるかもしれない。
この部分だけを考えても、アップルが今から作ろうとしているプラットフォームは、我々の日々の生活の中に急速に浸透してくる重要なプラットフォームになることは予想される。
Macは、PCに対するオプションでしかなかった。iPodやiPhoneもシェアは急速に拡大しているが、別の選択肢がある。
AppStore と iTMS と iAd が組合されたプラットフォームは、ある分野に関しては、かっての地上波テレビのような、事実上必須の基盤になるのではないかと思う。
そして、これから出てくるものとして、iPhone/iPad/iPod を家電等のデバイスと連動させるという、もう一つ別の分野がある。
体重計や冷蔵庫やクーラーを iPhone に接続することで、とりあえずリモコンやデータ収集マシンとして使用する。それが、 iAd と連動したら、「最近急速に太った人向けの広告」や「寝苦しい夜に悩まされている人向けの広告」を表示できるかもしれない。
「アップルは昔から独善的で自分勝手な企業だった」という意見があるが、「オプション」を売っている間はそれが問題にならないとしても、「プラットフォーム」を売るようになったら、その体質の持つ意味が違ってくる。
こういう(半)公共的なインフラを持つ企業に対するガバナンスは昔からいろいろな手法が試みられてきた。
- 法律による直接的な規制
- 独占禁止法(市場による間接的な規制)
- 株式公開を通した株主による間接的な監視
しかし、旧来の手法は、ビジネスモデルが確定した後でないと機能しない。破壊的イノベーションからインフラ化までのプロセスが、一瞬で進んでしまうネット時代においては、さらに別の方法が必要になると思う。
プラットフォームを構成するソフトウエアを、全てでなくてもオープンソースとして公開させるのも一つの方法だろう。
プラットフォームにはネットワーク効果があって、ある段階を過ぎると、プラットフォーム側が進化を止めても、ベンダーもユーザもそれを使わざるを得ない。企業が連続するイノベーションで稼ぐことは社会から見てウィンーウィンだが、ネットワーク効果だけで食っていくような企業は、社会全体にとってマイナスの方が大きい。
全てを公開してしまっては、ビジネスモデルが成立しないが、ネットワーク効果による利益を一定レベルに留めるために、部分的なオープンソース化をプラットフォーム企業の必須条件とする。そういう考え方はあり得ると思う。
もう一つは、「脱獄の権利」をユーザの正当な権利として認めるということだ。
アップルのプラットフォーム独占は、かってのマイクロソフトと比較されるが、実は、ベンダーに対する支配力は全然違う。Windowsでは、マイクロソフトが嫌っているソフトをユーザがインストールすることはできるが、iPhoneではそれができない。
AppStore / iTMS / iAd の組合せによる支配力の源泉は、iPhoneで動かすアプリケーションを、厳密にアップルがコントロールできることから生じている。マイクロソフトは、全盛期においても、このような支配力を Windows に対して持つことはなかった。
これによって、アップルはユーザ体験をコントロールして、安全なプラットフォームを構築している。だから、これを直接やめさせたら、ユーザの利益にはならない。
「脱獄の権利」を認めることで、ユーザの利益と公共システムとしてのガバナンスを両立させることができると思う。
もちろん、脱獄したユーザに対してアップルがサポートをする必要はない。ほとんどのユーザにとって、脱獄は割に合う行為ではない。
しかし、プラットフォーム独占によって、アップルやアップルと組む企業が、不当な利益を独占したりユーザの得にならない選択肢を強制したら、脱獄を選択するユーザは急速に拡大する。これがよい牽制になるのではないだろうか。
脱獄とは、iPhoneのマジコン化であり、ソフトやコンテンツの不正利用につながる。だから、知的所有権の問題として、これを規制する議論が出てくるだろう。
その時に、「広告+携帯+OS+課金のように複数のプラットフォームで高い市場シェアを持つ企業の製品に限り、脱獄を認める」というような、公共的企業に対するガバナンスの観点からの検討が同時に必要になると思う。