iPadとiPhoneのテイストの中にある絶対性
iPhoneで一番ビックリしたのは、コピペが出来なかったことだ。
iPhoneが日本で最初に発売された時にはコピーペーストの機能が無かった。できないわけはないしプログラマが考えないはずも無いので、絶対、開発中にそれを作った中の人がいたと思う。
その人は、たぶん「ジョブズさん、見てください。できましたよ。コピペ実装しましたよ!」と言って、それをジョブズに見せて却下されたのだろう。私は、自分もプログラムを書く立場なので、どうしてもそういうことを想像してはその人に同情してしまう。
おそらく、アップル以外の会社であればそのコピペの実装が採用されて、最初のバージョンからiPhoneはコピペ機能付きでリリースされていたと思う。
ジョブズは製品の細部に口を出すというが、自分でコピペ機能のコードを書いたりしないし、詳しい操作方法を示して「これをこのとおり作れ」と言うわけではない。そうなら最初からジョブズの考えたコピペが付いていたはずだ。ただ、部下が作ったものに謎の基準でダメ出しをするだけだ。
しかし、その「ダメ出し」がジョブズの最も重要な仕事で、彼がいるからiPhoneは、iPhoneらしく無いものを一切含まない、洗練された操作体系を持つデバイスになった。
私がiPadで一番ガッカリしたのは、マルチタスクができないことだ。これも「iPadらしい」タスク切り替えのUIができなかったので、切り捨てられたのだと想像する。見る人によっては、他の所に「足りないもの」を感じたと思う。iPadも「足りないもの」がたくさんあるデバイスだ。
しかし、「足りないもの」はたくさんあっても、本来、このデバイスに実装されるべきでないものや、実装されるべき形をゆがめて実装されているものは、一切含まれていないのだろう。
iPhoneもiPadも「このデバイスはこうであるべきだ」という明確な基準がジョブズの中にあって、現実的に実現できるソフト・ハード・サービスの中から、それに合致した部分を切り出してできた製品なのだ。その基準は、正確に言うなら「このデバイスを使う時のユーザ体験はこうであるべきだ」かもしれない。
それは、夏目漱石の夢十夜で、運慶が切り出していた仁王のようなものではないかと思う。
「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。
ジョブズという人は、気紛れな人ではなく我がままな人でもなく、ただ、原木から仁王を掘り出すという自分の仕事に忠実な人で、帳簿の検算が合うまで帰らない銀行員と同じような仕事をしていただけなのだ。
帳簿が合うまで部下を帰さない銀行員は真面目すぎるとは言われても「ワンマン」とは言われない。iPadがiPadになるまで部下の仕事を認めないジョブズが「ワンマン」と言われるのは何故かと考えると、ユーザ体験には帳簿のような絶対的な基準が存在しないと思われているからだろう。
帳簿上で縦横計が合わない計算を却下することと、あるべきユーザ体験に合わないコードを却下することは、本質的には同じことだ。
違うのは、デザインとかユーザ体験のようなものは全て、人の好みに依存するもの、主観的で相対的なもので、何ら絶対性を持つものではない、という誤った常識があることだろう。
帳簿のような明確な形で基準を言語化できないものの中にも、一種の絶対性はある。それはアートの領域では常識と言えることだし、良いテレビゲームもそれを追求する中で作られていると思うが、ビジネスの現場で、ソフトとハードとサービスがからまって構築されている製品のテイストの中に、日々変化する環境の中のダイナミックナプロセスの中に、そういう種類の絶対性を追求したことがジョブズの独創なのだ。
そして、これは完全な直感なのだが、iPadのプレゼンを見て「ダメ出し」はもうジョブズ独りの仕事ではなくなっているように私は感じた。
ジョブズが自信ありげにゆったりと喋るのはいつものことだけど、これまでは、お手本のようなプレゼンの背後に、うっすらとただようピリピリとした雰囲気を感じた。それが消えていた。普通に紹介して普通に売れば、この製品は手に取っただけでそれが何なのか当然のようにわかるものだ、というような自信を感じた。
似たような自信やゆったりさ加減をジョブズ以外の幹部からも少し感じた。
もう、アップルは、組織としてジョブズと同じような「ダメ出し」をできるようになっているような気がする。ジョブズ抜きでも、iPadの残りの形を原木から切り出していけるようになったような気がする。
言語化できないテイストを、企業文化の中に根付かせることができれば、それが本当のコアコンピタンスになる。それを達成したという充実感のようなものをジョブズのプレゼンの中に感じた。