リアルの加速化からバーチャルのリアル化へ

最初、印刷は筆写を加速したものに過ぎなかったけど、たくさんの印刷物が行き交うようになると、それが公共圏となり最終的に国民国家を生んだ。国民国家の中核には言論によって維持される「民族」という幻想があって、それは言論のプラットフォームが無いと維持できないものだ。

機械は、最初、その時存在するリアルを加速する為だけに使われるが、それが一般化して自律的に動きはじめると、それが今までとは別の形のリアルを生み出す。

コンピュータネットワークは、これまで、それ以前に存在したリアルを加速する為に使われてきたが、そろそろ、これまで存在しなかった別のリアルを生み出すフェーズに来ているのではないだろうか。

メールは文書による伝達を加速しただけのものだったから、「宛先」とか「送信元」とか「タイトルと本文」とか「添付」とか「配信(配達)」とか、アナロジーで説明できたけど、twitterはそうではない。twitterの説明は、アナロジー抜きの機能の説明があって、その後に「この説明ではよくわからないと思うけど、やってみればなんとなくわかってきます」という話になることが多い。

そもそもtwitterには宛先がない。「宛先がなくて放送(みんな宛)でもないものを書く」ということが、多くの人を戸惑わせる原因だと思うが、それでも宛先がないことに慣れて twitterを使い続ける人が多いようだ。

新しい技術は、古いリアルを加速し強化するので、最初のフェーズでは、古いリアルがより強固になる。20世紀の独裁者は、新しいテクノロジーを使っている分だけ、過去の同業者よりより効率的に仕事を遂行している。

コンピュータやネットの技術は連続的に発達してきて、これからも当分、そのまま発達し続けるだろうけど、どこかでその中に大きな断絶が起こるはずだ。その技術を利用して古いリアルが強化される時期と、新しいリアルが構築されて古いリアルが崩される時期だ。

アナロジーを持たない新しいリアルは、なかなか受け入れられられない。

twitterの前には、たとえば、Wikiという新しいリアルがあった。Wikiはアナロジーが無かったので、本来の「ユーザひとりひとりが自分たちの為の文書を共同で作成する」という形では広まることはなかった。それが「みんなで作る百科事典」というアナロジーを獲得して、Wikipediaとしてブレークした。

Wikiが受け入れられなくてtwitterが受け入れられた理由は、私にはわからないけど、世界が一つの分水嶺をまたいだのではないかという気がする。

twitterは、これからアナロジーの喩えられる側になるのだろう。「Buzzはtwitterのようなものだ」というふうに。

官僚制組織というか階層的な組織図というものは、これまで IT によって加速されてきた。

階層は薄くなったけど、下から上に報告が上がり、上から下に命令が降りる形はそのままで、それはメールによって加速した。

でも、これからは、そこに別のリアルが現れてくると思う。それが最初に「社長兼担当者」という役割として見えてきつつあると私は思う。

孫さんのように社長が twitter で直接顧客と対話したり、ブリンやページのように社長がソフトウエアのアーキテクチャやコードの中身について担当者より詳しかったり、ジョブズのように、社長が個別の製品の細部に徹底的にこだわる。そういう「社長兼担当者」が増えている。twitterevernote もネット系のベンチャーはみんな「社長兼担当者」だ。

社長でない専任の担当者が隣接する業務にいたとして、彼は、「社長兼担当者」が社長であるからその人の言うことを聞くわけではなくて、「社長兼担当者」が担当者として職務の特定の分野に深く精通しているので尊敬する。

「社長兼担当者」は、専任の担当者とは担当者として話をして、エリック・シュミットのような専任の社長とは経営者として話をする。そして、その両方を指揮する。

「社長兼担当者」は、階層の一番上に立つと同時に、時にあるレベルで現場に出現する。職務の階層構造にワームホールを開ける存在だ。

それが可能なのは、情報を共有し機械と人間が両方でフィルタリングする仕組みがあるからで、要するにネットが無ければできないことだ。

ジブリにおける宮崎駿はその前兆みたいなものだろう。ジブリの社長は鈴木プロデューサーで、宮崎さんは鈴木さんに全権を委任しているが、二人の意見が本当に対立した時はたぶん宮崎さんの意見が通ると思うので、宮崎さんは「社長兼担当者」に非常に近い存在だと思う。

「社長兼担当者」が率いる会社の利益率が高いのは偶然ではないだろう。

ワームホールが無い組織は、先進国では長期的に生き残るのが難しいと思う。「社長兼担当者」の思い入れ(思いこみ?)が無ければ、加速競争、単なるコスト競争になって負けてしまう。

天体の運動を観測することが重力の法則を研究する上で大いなるヒントになったように、グーグルやアップルやジブリについて考えることが、普通の会社の普通の仕事のヒントになると私は考えている。見るべきことが他には無いような形で、そこに明解に見えてくる。

「階層破りの運動」の法則は、普通の会社の中で観測することは難しい。地上で物体の重力を測定するようなものだ。地球だけに重力があるのではなく、重量のある物体は全て他の物体を引きつけているのだけど、それは観測できない。まず天体を見て、その後に地上でおおがかりな実験をすると、どちらも同じ法則で動いていることがわかる。

ワームホールが無い階層型組織がここまで機能したのは、ITによって加速されていたからで、それがこれから消えていくのは、ネットによってワームホールコアコンピタンスになるからで、両者はほとんど同じ技術だ。同じコンピュータと情報通信という技術が、ある時を境に、社会の「リアル」に対して逆向きの作用を与える。

ネットはこれまで「リアル」を加速するものだったけど、これから同じその技術が「リアル」を解体していく。「社長兼担当者」の出現はその先駆けだ。今「リアル」と呼ばれているものが、昔の人には「バーチャル」としか思えないものであることを、これからは強く意識しておくべきだと思う。

お金だってそうだ。貨幣経済以前にテレビのワイドショーがあったら、一次元の数値に何でも集約するという発想はボロクソに言われ、全ての不幸はお金のせいにされたと思う。お金みたいにバーチャルなものはないけど、これまでは、計算機がお金の計算を加速することでリアルの度合いより色濃くしてきた。

もう、一次元の数値より複雑な計算が実用的な速度でできるようになっているのに、誰もが、それが唯一存在可能な「リアル」だと思っている。誰もがそう思っている間は確かにそれがリアルだけど、誰もがずっとそう思い続ける保証はない。計算機は硬貨や紙幣をシミュレートする以外の方法でも使えるはずだが、それと違う方法で処理して社会を違う形で動かそうとする発想は、今はWikiのように拒絶される。でもある日突然、別の計算が twitter のように受け入れられるのだと思う。

「お金」と「階層型組織」の他にも、今この瞬間にはこれまでにも増して強固な存在となっているが、ある日、突然、幻のように消えてしまうものが、他にもたくさんあると思う。


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