iPadとは直接触って動かせてしかもソーシャルにつながっている画面

新大陸に最初に到着した人は新大陸のことを何も知らなくて、そこがインドだと思っていて、そこに住んでいた人のことを「インディアン」と呼んでしまったんですね。

コロンブス共通一次試験を受けさせたら、地理と歴史は惨憺たる成績になることは確実です。どんなオバカタレントでも、アメリカとインドの区別くらいつくと思いますが、コロンブスはそこを間違えてる。

今、iPadという新大陸を目指している人も同じようなもので、5年後に連れていって「電子書籍取扱主任者」かなんかの試験を受けさせたら、誰も受からないでしょう。知識が無いというより、致命的な勘違いをたくさんしてるはず。

しかし、コロンブスは、「西へどんどん進めば東の果てにたどり着くはずだ」という一番大きなビジョンについては正しかった。そこだけは間違えてなくて、そこに人生を賭けたわけです。

iPadで何かやろうとしてる人たちは、共通の認識として、次のようなことを感じていると思います。つまり「iPadはコンピュータの最先端だけど、そっちの方向へどんどん進むと、もうそれはコンピュータではなくなる地点が来る」

コンピュータには、入力と出力があって、従来のタッチパネルは入力と出力を兼ね備えたデバイスでしたが、画面を触るという入力と、その結果を画面に表示するという出力が分離していました。

iPadには直接触って動かせる画面があるだけで、分離した入力と出力はありません。そこにおいて、iPadはもうタッチパネルではないしコンピュータでもないと思う。

接触って動かせて、しかもソーシャルとつながっている画面ですね、iPadとは。

仕事は、「パソコンに何かを入力すること」から「共有されている画面の一部を触って動かして形にしていくこと」になっていくと思います。

「入力する」にはコンピュータの方が便利で、たとえばプログラミングなんかも、あるまとまりのコードを入力するには、キーボードが欠かせません。iPadで「入力する」ことが一般的になることは無いでしょう。

しかし、「たくさんの人が作ったコードの断片を適切につなぎあわせていく作業」に、もしプログラミングが進化していくとしたら、入力はおまけの作業で、作業の主体は、クラウドにあるコードの断片を「画面上で直接触って動かして組み立てていく」ことになるでしょう。

「結果を出力する」為の画面としては、iPhoneはもちろん、iPadも狭すぎます。

でも、iPhoneiPadの画面は出力用のデバイスではなくて、「触って動かす」デバイスです。いい感じに動かせると、画面の大きさよりずっとたくさんの情報を参照できるので、たぶん狭さはそれほど気にならない。反応速度やスムーズな動きの方が重要です。

今こうしている間にも、世界中でコンピュータに何かを「入力」している人たちがたくさんいるわけですが、その入力が修正されないでそのまま何らかの成果になることはめったにないでしょう。

「入力」は本質ではなくて、リアルのソーシャルグラフの中で無数の修正を受けることが、仕事の本質です。

その作業の場がクラウド上に移行することで、作業の粒度がドラスティックに変化しようとしていて、そこがiPadという新大陸だと私は思います。

iPadの触って動かせる画面の中で、仕事の単位は140文字よりもっと小さい単位に分割されていく。

それを断片化と思うのは、入力と出力が直接つながってない、旧大陸の発想でしょう。

大きなビジョンの重要性は増すけど、それを誰か上の人が一人で独占的に事前に作るのではなくて、触って動かせる画面の中で小さな作業をする全ての人が同等に貢献しつつ、実作業と並行して大きなビジョンも共同で作るのです。

これからiPadによって、Togetter をもっとダイナミックにしたものような方向に仕事が変化していくと思います。


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