ビットとアトムのはざまで
コンピュータは万能シミュレータなので、最初は紙ベースの既存のシステムを模倣する形で導入される。既存のシステムには、紙というデバイスの特性から発生した多くの制限事項があるが、最初は、この制限事項をうまくシミュレートすることが、コンピュータシステム導入のポイントとなる。
導入時には、その制限事項がユーザにとって助けになる。これが無くて自由度が高過ぎると、ユーザがそのシステムを理解することが困難になる。
しかし、そうやって導入されたシステムを実際に使っていくうちに、制限事項のシミュレーションは不要であることに、多くのユーザが気がつきはじめる。
やがて、紙(アトム)の制限を抜きにして、コンピュータ(ビット)が本来持っている自由度を生かして再設計されたシステムが作られるようになる。
アトム | アトムを模倣するビット | ビット |
---|---|---|
書類 | MS-Office | Wikiエンジン |
手紙 | メール | |
キャビネット | ディレクトリ型サーチ | ロボット型サーチ |
書類は、清書して完成させるより、履歴を残して誰でも修正できる方がいい。通知は、送り元が宛先を指定するより、読み手が選別した方がいい。情報は、事前に人間が整理するより、必要に応じて機械に検索させた方がいい。
後になってみればあたりまえのことだが、「アトムを模倣するビット」の段階を経ることなしに、これが多くの人に受け入れられることはなかった。
このように、
- アトム
- アトムを模倣するビット
- (本来の)ビット
という三段階のモデルで、社会へのコンピュータの導入プロセスをとらえることは、理解や予測に有効だと思う。
いくつかの例外はあるが、およそ次のようなことが言える。
- 「アトムを模倣するビット」より「ビット」の方が、コンピュータプログラムとしてはシンプルなものになるが、社会への影響力は大きい
- 「アトムを模倣するビット」は、「アトム」の時代の社会構造を強化する
- 「(本来の)ビット」は、「アトム」の時代の社会構造を揺るがす
- 「アトムを模倣するビット」の段階から、「(本来の)ビット」の段階に移行する時に、コンピュータは社会構造にインパクトを与える
「アトム」と「ビット」の間には、もともと大きなギャップがあるが、その間に「アトムを模倣するビット」が入ることで、そのギャップやインパクトはさらに大きなものになる。なぜなら、「アトムを模倣するビット」は「アトム」が前提とし、支えてきた社会の構造を強化するので、「(本来の)ビット」とのギャップが拡大した所へ、それが導入されることになるからだ。
そして、「ビット」は、コンピュータの使い方として素直なので、いったん頭を切り替えてしまえば、「アトムを模倣するビット」より安く使いやすくパワフルだ。
このような移行は、現代社会のさまざまなレベルで同時並行的に起きていると思われるが、今進展している一番大きな変化がこれだ。
アトム | アトムを模倣するビット | ビット |
---|---|---|
資本主義 | 金融資本主義 | ソーシャルメディア |
つまり、金融や市場の本来の機能は、社会的資源の最適配分のための(分散処理型)情報伝達である。
この機能を、紙幣や帳簿や伝票を使って紙ベースで行なうのが資本主義である。紙ベースで行うので、企業という組織が必要になる。
資本主義を「アトムを模倣するビット」としてコンピュータに乗せたことで、金融資本主義が産まれ、これが、資本主義のメリットと同時にデメリット(格差の拡大や社会の(無駄な)不安定化)を強化した。
しかし、これは、「社会的資源の最適配分のための(分散処理型)情報伝達」の為にコンピュータを使う方法としてはスマートな方法ではない。
「アトム」時代の記憶をゼロクリアすれば、もっとスマートでエレガントな方法でコンピュータを使えるはずだ。
その萌芽が、ソーシャルメディアという形で、今、見えているのだと思う。
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