グーグルにNO!と言えるニッポン
でもね、この日本でのストリートビューは、僕は生理的にダメ。ここまで無邪気に踏み込んではいけないと思うのです。
きっと、セルリアンタワーの中の人も同じように感じていると信じて、なぜこれがダメなのか、海の向こうの人にも分かりやすいように説明を試みますんで、聞いてください。で、リエゾンとして、正しいローカライズについて、きちんと向こうの人を説得してくれるとうれしいです。
私自身は正直言って、この感覚にはピンと来ない所もあります。でも、おそらく、そういう自分の感覚は、日本人の標準とは相当ずれてるんだろうなと思ってます。
でも、感覚が違うならそれをちゃんと説明すべきだと思っていた所で、このエントリを目にしました。そこで、すぐに Global Voices のサルツバーグさんにメールして、これを翻訳していただきました。
普通は、Global Voicesでは、「こういう面白いエントリがあるよ」と紹介するまでに留めていて、実際にそれを翻訳するかどうかは、サルツバーグさんをはじめとする翻訳スタッフの判断にまかせているのですが、今回は初めて「これはぜひ翻訳してください」と強くお願いしました。
このエントリは、相手が違う文化、違う常識を持っていることを前提としていて、そういう相手に理解してもらえるように説明している所が素晴しいと思ったからです。
こういう形で異議をとなえることは、日本の重要な責任ではないかと私は考えています。
前のエントリに私はこう書きました。
グーグルマップに標準的に装備される機能なので、いずれは日本でも同じことを行うだろうと誰にでも予想できた。騒ぐなら、この時に騒ぐべきではなかったかと思う。
これは「日本人はこの事態を前もって予想すべきであった」と読めてしまうと思いますが、私が言いたかったのは「グーグルという会社はそういう会社である」ということです。(最初からそう書くべきでした)
つまり、グーグルのサービスは原則として全世界を対象としたものになるということです。
グーグルの中でプログラムを書く時には、他のどんな会社よりも「スケーラビリティ」についてチェックされるそうです。つまり、「サーバを追加すればどんなにユーザやデータ量が増えても動くようにプログラムを書く」ということが、グーグルのプログラムの第一原則です。
それが何を意味しているかと言えば、同じプログラム、同じサービスを全世界を対象として動かせるように作るということです。
もちろん、画面のメッセージや説明は各国語に翻訳されています。これは、最初から国別に変更すべきポイントをプログラムに用意しておいて、その範囲で国ごとの事情に対応していくということです。だから、当初開発したバージョンを、国ごとに修正しながら複数のバージョンに分けて管理していくということにはなりません。
ネット上でサービスを行う以上、一本のプログラムをたくさんのユーザに使ってもらった方が効率がいいので、グーグルに限らずこれからのネット企業は、そういう傾向を強めていくと思われます。事前に調整できる余地を増やしていくような工夫はするでしょうが、後から個別の事情に対応していくことは無くなるでしょう。
それを前提とすると、アメリカンスタンダード、シリコンバレーのスタンダードに対して、誰がいつ異議を唱えるかということが世界全体にとって重要な問題になってくると思います。
ネットはいずれ食料より安くなります。だから、世界中の人たちがそれに接続されていくことは間違いないのですが、スタンダードが確立する前に接続できる人は、地球全体の中では少数です。
そして、その少数の中で、西欧と違う常識、違う歴史を持つ国は少ないわけで、そこで我々が異議を唱えなかったら、誰も気がつかないまま暗黙に埋めこまれた西欧の価値観が、地球全体のスタンダードになってしまいます。
もちろん、現代日本の社会が、西欧と発展途上国のどちらに近いのかは微妙です。それに発展途上国と言っても文化はさまざまです。だから、日本に「非西欧」全体を代表して発言する権利があるとは思いません。しかし、我々が微妙に引っかる所を全部発信していけば、そのうちいくつかは、重要な異論となる可能性、少なくともそこを再考するきっかけにはなる可能性があると思います。
だから、とにかく我々がまず異論をしっかり言うことは、世界全体にとっても重要な意味があると思うのですが、一方で、それが相手に届かなくては意味がありません。日本の中でのコミュニケーションには、前提が違う人、常識が違う人、文化が違う人と会話する為の型が少ない。語学力以前に、文化のコンテキストが発信に向いていないのです。
冒頭で紹介した樋口 理さんのエントリは、西欧のコンテキストの上で日本のコンテキストを説明するもので、このスタンスが大事なポイントです。これがどれだけ説得力を持つのかは私にはわかりませんが、そこに意味があると私は思います。