ポリティカル・タイムマシン (All we need is a political timemachine!)
Winny開発者の逮捕に対する世論は、当時と今では相当シフトしていると思う。
誰もが揃って不当逮捕だと思っているとは思わないが、当時は「よくわからんけど、変なハッカーが調子に乗り過ぎてるなら、多少は締め付けも必要なんじゃないの」と思ってた人が、「今でもよくわからんけど、いきなり逮捕っつうのはちょっとマズかったかもね」と言うくらいのシフトは起こっていると思う。
当時はネットやP2Pについて何も知らなかった人で、この数年間の間に、仕事なり趣味なりで勉強する機会があって、具体的に問題点を指摘できるようになっている人もいるだろう。
YouTubeやニコニコ動画を経験して、日本国民全体の世論は相当動いているはずだ。
ところが今、政治家の中で、かなり熱心にネット規制の動きを進めている人がいるらしい。露出しているネット内の世論は当然のように大反対だけど、ひょっとしたら、現時点ではそういう政策には一定の支持層がいるのかもしれない。
しかしこれも、仮に実施されたとして、数年後には、どうしようもない愚策であったことが、誰の目にも明らかになるだろう。
もしこんなものが本当に実施されたとしたら、選挙のたびに、誉め殺しのコピペを貼りまくってやろうと私は考えている。
「世界の中で日本だけが実施している素晴しいネット規制。この先進的な法律の成立にご尽力された先生方を応援しよう」と言って、関係した議員のリストをばらまくのだ。もちろん、それまでに全部調べておいて、誤爆はないようにして、ちょっとでもからんだ人は表も裏も絶対に漏らさない。完璧なリストを作っておいて、それをありとあらゆる手段でバラまくのだ。
数年後にどういう法律があるのかわからないが、どういう言いがかりをつけても絶対にこれは規制できないだろう。
いや待てよ、ひょっとしたら数年後には、政治家に対して「ネット規制推進論者」というレッテルを貼ることは、それだけで誹謗中傷になってしまうかもね。そうなったら困るなあ。
まあ、ともかく、ネット規制というような政策に対する意見は、年々、急速に動いていくことは予想できる。
- ネットやパソコンがより一般化し、現在、無関係、無関心な人も考えざるを得なくなる
- ネットのアーキテクチャに対する体感的な理解が進み、規制の困難さから来るコストパフォーマンスの悪さ、副作用の大きさという根本的な問題点に気付く人も増える
- 仕事についている人が、不自然な規制から来る事業遂行上の困難に直面し、経済的損失の大きさを実感する
- ネットを食わず嫌いしていた人が、ネットの良さを経験し、完全否定から是々非々の立場に移る
- 規制の問題点を、大衆に異常にわかりやすくアピールできる特殊能力を持った人が出現する(マンガとか歌とか動画とかで)
- 何か子供がらみの事件が発生し、事件に対して規制が無力、無意味であったことが、具体的な事例に即したかたちでわかりやすく報道される
- ネットをうまく使い急成長する国が出現して、その国と我が国の違いが明かになる
- 利権で動く方々が、旧来の利権のパフォーマンスの悪さに気づき、ポジションを変える(キレイな金でなく薄汚い金を稼ぎたいと宿命のように思う人がいるっていう現実は変わらないと思うけど、パフォーマンスを意識する限り、ネットのアーキテクチャと整合的な利権のあり方を模索せざるを得ない)
全部私の予想通りに動くとは思わないけど、半分でも当たればこういうことが累積的に作用して、数年後の世論は、今と全く違うものになると思う。
だからポイントは、数年後の世論の重心となるような政策が、ちょうどその頃、実効性を持つようなタイミングで実施されることじゃないだろうか。
それで、これを考える上で難しいことはそんなにない。
- ネット(回線)とパソコンや携帯の価格性能比はまだまだ一方的に向上していく
- ネットの根本的なアーキテクチャは当面変わる気配がない(エンドトゥーエンドのコントロールは有効だけど、ネットワーク全体はコントロールできない、これはIPV6が普及しても同じ)
- 経済、政治、文化、その他、社会のあらゆる側面でネット依存度は増していく
大枠でとらえて、この傾向は今後数十年は続くのは間違いない。これを前提にすれば、世論がシフトしていく方向も充分予測できる。
政治は、ネットより変化が難しいシステムなんだから、なおさらこのシフトの先を読んで、そこに軟着陸するようにすべきだ。
だから、自分は一般人よりネットに関わりが深いと思う人は、なるべく声をあげて、自分たちの感覚に添う方向に政治を動かすように努力すべきだと思う。それが日本の為になるわけだから、そのことを公共的な責務と考えるべきだと思う。
回りを見て、ネットにあまりなじんでない人を探し、その人の数年前の言動と今の違いをよく観察し、それを未来の方向に延長する。そうしたら、彼らが、数年後にネットをどのように使い、どのように考えるか予測できるだろう。数年後の彼らが、現時点の政治に対して発言することはできない。だから、それができる人が代わりに動くべきじゃないかと思う。
たとえば、ちょっと前までメールなんて見向きもしなかった人が、今はスパムに困っているなんていうケースは多いだろう。
ほとんどの人がメールなんて見向きもしなかった時に、既にメールを使いこなしていた人は、スパムやフィッシングについて想像し、できるならば手を打っておく責任があったのかもしれない。でも、当時のネットユーザは、「誰もが僕たちのようにメールを使うようになるさ」なんて思うほど傲慢にはなれなかった。その失敗を繰り返さないようにしよう。私が言いたいのはそういうことだ。
それでこの考え方を、数年後の世論を現在に持ってくるという意味で「ポリティカル・タイムマシン」と呼ぶのはどうだろうか、という話です。
というか、こういう観点での公共的な責任を自覚できる人がポリティカル・タイムマシンなのかな。
All we need is a political timemachine!
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