パフォーマンスアートとしての「装甲車付き聖火リレー」
今日は、まず、チベットリンクから。
警備態勢は、まず聖火ランナーの周りを48台の装甲車が囲み、その周りを100人の警察官がローラースケートを履いて走ります。そして、その外側を消防隊員100人が走ります。最後に、一番外側を合計65台の白バイ隊が走るという、総勢400人を超す警備態勢で臨みます。
つうかコレ護衛っていうよりフランス国家の抗議行動だろw 聖火リレーで装甲車ってww
他にも、この過剰な警備はフランス当局の嫌がらせではないかというレスがいくつかあった。
どうしても必要なレベルだったのかどうか、意図的に過剰な警備をしたのかはわからないが、結果として「装甲車と警察官400人に囲まれて走る聖火」が、見事なパフォーマンスアートになってしまったのは確かだと思う。
ただ、このパフォーマンスアートのテーマを「固く守ることで、かえってそこなわれてしまうもの」と見ると、そのアイロニーの射程は、北京五輪や中国にとどまらない。
- 第18回 あなたの会社は仕事中にはてブを使えますか?──IT鎖国する大企業 | WIRED VISION
- 第19回 あなたの会社は仕事中にはてブを使えますか?(続編)──ITサービス業界の未来 | WIRED VISION
会社を固く守ろうとして、行き過ぎたコンプライアンスで生産性を落としてしまう企業とか
子供を固く守ろうとして、21世紀に生き残る為に一番重要な多様性や共生についての勉強をする機会を奪ってしまう親や政治家とか
世界経済を守ろうとして、....これはちょっと話が難しくて何を損うのかよくわからないけど、何かが損なわれていく気配は感じる。
結局、今、あらゆる所、あらゆるレベルで、世の中は柔らかくなっているんだと思う。
世の中が柔らかくなって何が起こるかわからない時に、自分を固くして身を守るか自分を柔らかくして身を守るか、それが問われている。
21世紀に戦略的思考なんてものが有効だとしたら、それは、どうやって段階的に自分を柔らかくしていくかについて戦略的に考える、という方向しかないだろう。
その戦略的なプランの中で、一時的に固くする場面はあるかもしれない。でも、それは今固くすることで、次にもっと柔らかくできるという見通しがあって初めて意味を持つ。
単に固くして守るだけの戦略は、最終的に「装甲車と警察官400人に囲まれて走る聖火」に行きつくしかなくて、「聖火を消さない」という目標は達成できたとしても、それが本当のゴールだったのか?、本当のゴールはどこにあるのか?という疑問を生むだけだ。