情報無しで事前に沈静化するブロゴスフィアの方がいいのだろうか?

花岡信昭氏のこれでいいのか? ブログ世界の理不尽な未成熟さは、実に興味深い文章である。

以上の状況を詳細に伝えたことによって、ブログの世界はようやく沈静化に向かった。

結論として、事実を詳細に伝えたら沈静化したという話なのに、タイトルが「ブログ世界の理不尽な未成熟さ」となっている。私は、この事件の事実関係については全く追いかけてないが、この記事が示していることは、「事実がなければ沈静化しないし事実があれば沈静化する」ということではないだろうか。


この記事によれば、経緯は以下の通り。

  1. トリノオリンピックNHKの中継映像で荒川静香選手のウィニングランがカットされた
  2. 「日の丸の映像を映さない為の意図的なカットではないか」という疑惑でネットが騒いだ
  3. 「筆者がささやかに配信しているメルマガ、ブログに書いたら、すさまじい反応が来た」
  4. 「しっかりと「取材」し直し、TOBOの中継予定表も入手して克明に書いた」
  5. 「以上の状況を詳細に伝えたことによって、ブログの世界はようやく沈静化に向かった」

ここから推測すると、最初に「すさまじい反応」が来た時には、しっかりとした「取材」もなく「中継予定表」というポイントとなる事実も含まれてなかったのだと思う。

多少の対象の憶測もまじえて、花岡氏が問題としているのは次のような点ではないかと考える。

  1. 底流としてNHKに対する不信があること
  2. 事実や取材を含まない花岡氏の示唆に対して否定的な反応があったこと
  3. NHKの説明に「ネット・オタク」たちが納得しなかったこと
  4. 「すさまじい反応」には罵詈雑言が含まれていたのではないか(私の推測)

1の底流としてのNHKに対する不信だが、NHKは公的な存在であるので、政府と同様に底流として「グレーはクロである」という疑いを基本として監視されることは当然だと思う。むしろ「お上」を安易に信用しないことは、健全な市民社会の基本だと思う。

2は、「事実を元に議論しあう基本的態度を」と花岡氏の記事のサブタイトルにもあるように、むしろ当然のことで健全なことである。ただ、有名なジャーナリストが個人的なコネから得たあいまいな情報は「事実」ではない。取材と具体的な証拠によって裏付けられたら「事実」であって、それに対して「沈静化」したのは健全な反応だと思う。

3は、NHKの説明と花岡氏の詳しい説明とで反応が違ったということだ。NHKの説明には事実が欠けていたか明解さが無かったかどちらかではないだろうか。

4の罵詈雑言、誹謗中傷はのぞましいことではないと思う。ただ、ネットの匿名性は、自由な議論の基盤となっている面もあって、その両面を見て慎重に判断すべきことである。

重要なことは、花岡氏が「成熟」とおっしゃっていることと、ネットに通底する価値観のズレだと思う。著名なジャーナリストである花岡氏がそれとなく漏らしたことを素直に「事実」と受け止め、NHKのような既存マスコミの培ってきた自浄システムを信頼し、それをベースに議論することがネットの「成熟」なのだろうか。

ネットはマスコミへの不信を扇動しているわけではない。これまで表面化しなかった、漠然とした不信を表明する場を与えただけである。もちろん、それは非常に不安定なもので、時に罵詈雑言を伴なう極端な形を取って行き過ぎることもある。

しかし、何を「事実」と考えるかも含め、別の価値観と合意形成システムがネットの中には芽生えている。それが既存マスコミの価値観と一致しないことは、むしろ望ましいことであり、互いが互いをチェックすることで両者の為になることである。企業に監査役がいて、民主政治が三権分立になっているのは、別の価値観とシステムが並立することの利点を示している。ネットと既存マスコミもそのような関係になるべきであり、ネットの世論がジャーナリストから見て何の違和感もなく納得できるものになることは、機能しない監査役や癒着する議会と政府と同じで、「成熟」とは言えない。

むしろ、ネットに噴出する世論をセンサーとして見ることで、自らの無謬性への過信を改める手がかりとするようなマスコミの「成熟」を私は求めたい。