顔のない編集がテレビをダメにした

日経ビジネス EXPRESS : 【大橋巨泉氏】金持ち、勝ち組、インテリはテレビなんか見なくなったというインタビューで、大橋巨泉氏は「編集技術の進歩が番組をつまらなくした」と言っているけど、これは、ほんのちょっとだけズレている。

編集が問題なのでなくて編集者がフィードバックを受けないことが問題なのだ。

つまり、映画は編集する監督に全権があるけど、できた作品は監督のもので、それが良ければ監督が褒められ悪ければ監督が批判される。また、巨泉氏が現役の頃のバラエティは司会者のもので、やはり、その番組の出来不出来はそれをコントロールしている司会者と結びつけられる。

今のテレビは、実質的には編集している人に依存している部分が大きいのに、誰も編集者の名前を知らないし、それを気にしない。だから、編集者は、駄目な編集をしてもその最終的な責任を問われることがない。

実際、最近、面白いバラエティが出演者が変わらないのに急につまらなくなることが多くて、面白さ=高視聴率にむらがるハイエナのようなスタッフが多くなっているのではないかと、私は推測している。自ら面白さを創造する力はないけど、他人の作った面白さを自分の手柄にすることには長けた人がいて、誰かが面白い番組を作ると、うまくそのスタッフにもぐりこむ。そして、もとからいたスタッフを蹴り出して、彼が作りあげた高視聴率を自分の成績にしてしまうのだ。

その結果、番組の面白さが長続きせず、急速に消費されてしまう。

私としては、その蹴り出された人の行く先を確認して、彼が次に作る番組を見たいと思うのだが、それはできないように、テレビはなっている。というのは妄想だと思うけど、それが妄想であることを確認しにくいように、テレビはできている。

だから、「人を評価するシステムが機能しなくなった」という古典的な問題でしかないというつまらない話に見えてしまうのだが、これはテレビに「作品性」を期待してしまう、少数派の意見なのかもしれない。