「干からびたチーズ」という政治的言語

郵政法案:週末の攻防 緊迫のドキュメント


森氏は、待ち受けた記者団に「はっきり言ってさじ投げたな、おれも」と怒りをぶちまけ、公邸で外国産の缶ビールと干からびたチーズとサーモンしか出なかったことまでいまいましそうに説明した。左手に握りつぶしたビールとウーロン茶の空き缶、右手にはチーズがあった。

この干からびたチーズって実は高級品だったそうですが、小泉-森会談がうまく行ってたら、森さんもこのチーズと缶ビールは報道陣に見せなかったでしょう。

この「干からびたチーズ」は、政治的言語だと思います。

森さんは、たまたま手元にあったチーズを使って、「小泉さんは本気だよ」というメッセージを出したのです。手元にある材料をうまく使って、言うべきことを言えるのが政治家としての才能です。そういう意味では、森喜朗という人を見直しました。森さんが不機嫌だったのは演技ではないと思いますが、チーズと同様、森さんにとっては自分自身の不機嫌も政治的言語のボキャブラリーです。

派閥の大先輩であり前首相である自分を「不機嫌」にした人間だぞ、小泉というこの男は。それを言いたかったのでしょう。

自分の不機嫌とチーズと缶ビールの缶を使って、森さんは造反議員に「小泉には恐いものは何もない。解散は本気であって脅しじゃないから、否決するなら相応の覚悟をしておきなさい」という警告を発したのだと思います。そういう意図がなかったら、不機嫌もチーズも缶も隠したでしょう。

だから、あのチーズがミモレットという高級品だったというのは(ウンチクとしては面白いけど)ナンセンス。政治的言語としては、あれは「干からびたチーズ」で正解です。

同様に、郵政民営化靖国参拝(しなかったこと)も政治的言語です。それを文脈から切離して、重箱の隅をつつくのは、「ミモレット」と同じです。正しいけどナンセンス。

森派、すなわち、福田赳夫の弟子は、こういう政治的言語をよく理解しているような印象があります。森、小泉、安倍、そして息子の福田康夫。みんな、今自分がついている立場で発言することが、どういう意味を持つのか意識して発言してます。

森さんの「不機嫌」はそういう政治的言語として見ると、小泉さんのアシストだったのかもしれません。小泉さんが言っていることを、森さんが違う言い回しでもう一度言った。一面では素でケンカしながらも、政治的言語としてそういう連携プレーが意図せずともできる所が、根っからの政治家だなあと思います。

今日、加藤紘一氏がラジオに出ていたのですが、彼は、こういう政治的言語があきれるほどわかってない。驚きました。

例えば、靖国神社が太平洋戦争を正当化していることをアメリカの一部が問題視していると言っていたのですが、それは反ブッシュ勢力がブッシュ叩きの為にやっているのが、私なんかにでも当然想像できるのですが、そういう観点が全く無かったです。ただ日本が戦争を正当化しているとアメリカが見るかもしれない、それは講和条約に対する信義違反という話だけで、「ミモレット」的な正しさしかないんですね。

ブッシュとアンチブッシュのどっちにどの程度重心を置くべきか、むこうの政争につきあうべきか距離を置くべきか。そういう点で小泉さんと違う意見があって、そういう戦略上の話の中に靖国を位置づけてそれを批判するならわかります。私はそれを期待して聞いていたのですが、加藤さんの話はそういう次元の議論にはならない。

森さんの一世一代の不機嫌談話に対して「あれはミモレットという高級チーズです」と言っているような正論なんです。

小泉さんが負けた時に造反議員を呼び戻すための総裁候補として、2ちゃんねるでは福田康夫という名前が出ていましたが、総選挙の勝ち負けによらず、福田派の末裔が自民党を牛耳っていくことになりそうです。造反議員は、自民党の最も貴重な遺産を継承してないような気がします。小泉さんの本気を読めなかったことはしかたないとしても、森さんのメッセージから何も読み取れなかったのは致命的ですね。

おそらく三角大福中の時代には、政治家はこういう政治的言語をもっとうまく使いこなしていたのでしょう。田中角栄福田赳夫は、こういう言語で丁々発止のやりとりをしていたのでしょう。たった一世代あとの同じ政党の中のこととは思えないほど、造反議員は政治的言語に鈍感です。

戦後とは、戦後が腐っていく過程であって、その腐敗はこういう鈍感さとして現れてきます。輝かしい戦後と腐った戦後が連続していることが、我々の不幸なのだと思います。サブカルでも食べ物でも音楽でも、このような鈍感さがいつのまにか、我々を取り囲んでいる。そして、鈍感さは正確さとして自らを正当化している。正確であることによって鈍感であることを隠そうとしている。我々を歴史から遠ざけるのは、この正確さと鈍感さなのです。

「干からびたチーズ」という政治的言語が我々に問いかけて来るものは、軽いものではないと思います。

(8/16 追記)

コメントで教えていただきましたが、ほぼ同様の趣旨の分析をリアルタイムで(採決前に!)書いていた方がいました。