夜神ライトの彼自身に対する予期の予期
(注:このエントリはデスノートについての重大なネタバレを含みます。読む予定のある人は、先にデスノート7巻までを読んでからこのエントリーを読んでください。読んだことなくて読む予定のない人にも、内容は理解できるように配慮したつもりです。ただ、もし私の配慮が十分であったら、あなたはこのエントリを読むとデスノートを読みたくなってネタバレを残念に思うでしょう。)
デスノートとは、名前を書くだけで人を殺すことができるノートだ。これ以上ないくらいの非現実的なツールで、これだけで世界征服が可能に思える。しかも夜神月(やがみライト)という天才的な頭脳を持つ主人公がこれを手にしたとあっては、それだけで話が終わってしまう。
しかし、このデスノートには、「本名を書かなくてはいけない」等いろいろ制約条件がついていて、そのわずかな手掛りをたぐりよせ、もうひとりの天才 L が夜神を追い詰める。
そして、二人が対面し推理合戦をしていくのだが、ここで、夜神のデスノートによる疑似全能性が、逆にLに大きなヒントを与えてしまうというのが、面白い所だ。つまり、「自分は夜神に声を聞かせ存在を知らせ挑発した。しかし、夜神は自分を殺すことはできなかった。従って、夜神の能力には一定の限界がある」というように、Lは自分の身を危険に晒し実験台となることで、そこからさまざまな情報を得ていく。
そして、追いつめられた夜神は、最後の手段として危険な賭けに出る。その全貌は7巻で明かになるのだが、デスノートの所有権を一旦放棄することで、デスノートに関する記憶を失い(デスノートの制限条件)、そのことで自分に関する疑いを晴らした上で、Lを殺すという作戦である。疑似全能性を放棄することで、力関係を逆転させるということだ。
その作戦は、長く複雑なプランなのだが、そのプランの中に「デスノートの記憶を失なった自分はどう行動するか予測する」という要素がある。デスノートは、所有権を放棄する所定の手続きをすると、それに関する記憶を失うという制限事項が設定されていて、その手続きを取れば、別の人間がデスノートを引き継いで遠隔殺人を継続するので、自分の疑いを晴らすことは簡単である。
しかし、夜神はその後、再びデスノートの所有権を回復するプランを立てていて、これが非常に難しい。その為には「デスノートの記憶を失なった自分はどう行動するか」予測しないといけないからだ。
夜神は、「もし自分がデスノートの存在を知らなかったら、Lと一緒に犯人をつかまえようとするだろう」と予測し、記憶喪失後にその予測通りに行動する。その想定された彼自身の行動は、夜神のプランの重要な要素となっていて、それを中心に驚くべき複雑なプランが全て主人公の予測通りに回っていく。
そのプランが都合よく進むのは、お話だから(推理小説的な整合性が取れていれば)よいとして、私はここにひとつの異議がある。
記憶喪失中の夜神は、「もし自分がデスノートを所持していたら自分はどう行動するか」とは考えないだろうか。
つまり、ここには、三人の登場人物がいる。
悪役夜神はLの宿敵であるが、善玉夜神はLを仲間と考えている。夜神とLはどちらも超人的な頭脳の持ち主でその推理力はほぼ同等だ。そこで悪役夜神は、Lを出し抜く為に、善玉夜神を利用する。
この中でデスノートに関する正確な知識を持っているのは悪役夜神だけであり、それが悪役夜神の有利な点だが、数々の間接的推理により、Lはデスノートの存在に気づき、その性質について断片的だが知識を獲得していく。だんだんと両者の知識は接近していく。
そこで、悪役夜神の切り札として登場するのが善玉夜神なのであるが、善玉夜神は道具であるかのように悪役夜神の想定通りに行動する。すなわち、悪役夜神は「もし自分がデスノートの存在を知らなかったらどうするか」を完璧に予測したことになるのだが、それは自分のことだから良しとしよう。
しかし、そうなると、同時に善玉夜神に関してひとつの疑問が出てくる。彼は、Lのパートナーとなり推理に参加し、デスノートに関する断片的知識を得た時点で、「もし自分がデスノートの持ち主だったらどう行動するか」を考えるのではないか。そして、悪役夜神が善玉夜神の行動を予測することができたように、善玉夜神は悪役夜神の意図とそのプランを見抜くのではないだろうか。
この善玉と悪役の関係は対称的なので、どちらかが可能と設定されているならば、反対側も可能でなければおかしいと思う。また、可能であった方が話も面白くなる。計画を見抜いてからの善玉夜神の行動が興味深いからだ。
それを見抜いた後で、善玉夜神がLを救う為に、悪役夜神のプランを中断する行動に出るかどうかはわからない。全部わかっていて悪役夜神の意図にのり、想定されたプラン通りに行動するのかもしれない。もっと言えば、「善玉夜神が途中で自分の計画に気がついたとしても、彼はそれを続行するだろう」という読みが、最初の時点から悪役夜神にはあったのかもしれない。その読みに善玉夜神も気がついてそれにのるということだ。
つまり、善悪二人の夜神の間には、ダブルコンティジェンシーが成立するという想定だ。
その方が、ストーリーに不確定性が生まれて面白くなると思うのだが、一方で、悪役夜神と善玉夜神の非対称性は、ある種の世界観の反映であるとも読み取れて、それはそれでまた一興である。
つまり、「知識は必然的に人を倫理的に劣化させ能力を向上させる」という世界観だ。悪役夜神が善玉夜神の上を行くのは、彼が余分に知識を持っているからで、彼の倫理性を劣化させた「知識」というものが、同時に彼の能力を向上させるということである。だから、善玉夜神が悪役夜神のプランを推理によって読み取れないのは、ご都合主義ではなく必然なのである。
そういう作者の主張が、このストーリーの中に暗黙に埋め込まれているのかもしれない。そのような「知識」というものに対する根本的な不信感もまた、時代の気分であるのだろう。