思い出話を少々

昔、某メーカーの末端でSEをしていて、汎用機の提案書を書いてプレゼンしたことがあります。それが終わって、昼食を取っていたら、隣の席でこんな話をしている人たちがいました。

  • 「○○○(私のいた会社)のプランはなんで○○○(パソコンのブランド名)を端末にしてないのよ」
  • 「そうだよ、俺もそこがおかしいと思ったんだ」

そのプレゼン相手のお客様の会社の人たちでした。あわてて営業の人が立ちあがって「今日はお世話になりました」と挨拶すると、かなり気まずそうにしてました。

実は、その会社からはパソコンを端末としてシステムを組むように要望があったのですが、それを無視して、専用の端末機で提案していたのです。それが彼らには気にいらなかったようで、随分文句を言っていました。

後で、営業の人に「やっぱりパソコンで組んだ方がよかったですかね?」と聞いてみましたが、「いや、そういう無茶を聞いてたら、後で苦労するからそれは仕方ないよ」と言われて、少し安心しました。

80年代のことですが、当時の感覚ではそれは「無茶」だったんですね。汎用機のSEからすると(いや営業から見ても)、パソコンを業務システムに使うということには、かなり抵抗がありました。パソコンはあくまでおもちゃで「堅い」システムとは関係ない世界のことだったんです。

お客様の方はもっと先進的で、その可能性を検討するよう要求してたんですが、それは営業から見ても常識はずれのことで、それを蹴って失注してもしょうがないと思うくらいのとんでもないことだったわけです。

もちろん、この常識は後に変わります。端末どころか、サーバ機までが(もはやそれはパソコンとは言えないとしても)Windowsマシンになってしまったりするわけです。

この当時、パソコンを端末にしてコンピュータシステムの経費を節減しようなどという企業がいたら、「企業価値が著しく毀損されることが明らか」と言われたと思います。そして、私がもしそれについて専門家としてコメントを求められたら、専門知識を元にその見解に同意していたでしょう。

もちろん、ある時点までは、性能、信頼性、ソフトウエアの安定性、いずれの面から見ても、パソコンは実際におもちゃでした。それでシステムを構築したら「企業価値が著しく毀損された」のは間違いない。ただ、パソコンがそういう問題点をクリアした時点と、専門家がそれを認識した時点は一致してない。上記の私のエピソードは、まさにその端境期のことだったのだと思います。

イノベーションとは、その端境期を正しく発見することです。その正当性は専門家には判断できません。専門家にはトンデモを排除することはできますが、その中に埋もれているイノベーションの種を除外することはできません。

もちろん、自分が専門知識と経験に基づいて言うことを無視されたら、「素人がわかったような口をきくな」と怒りますが、そこには一定の抑制が必要だと私は思っていて、そういう私たち専門家の影響の外に市場というものが少しハミ出していた方がいいと感じています。