避けられない言葉の暴力
jounoさんのツッコミに何を期待してるのかと書いたのは、とてもわかりにくいと思いますが、実は皮肉でした。
「アメリカ社会が二極化している」という話なら、陰謀論的なソースを持ち出さなくても、もっと正統的なソースがいくらでもあるだろうに、なんでこういうものを提示してくるのか?ということが非常にひっかかっていました。
「essaにこういうものを読ませると、何か面白いことを書きそうだ」という実験動物にされたみたいな意地悪な視線を感じていました。可能性としての陰謀論を確定した事実として扱って、暴走して何かとんでもない結論を導きだす、そういうような独善と独創の混合は、私の得意技であってこのサイトの意義でもあると思いますから、仮にそういう期待があったとしても不当な期待とは思いませんが、jounoさんにそういう意図があると勝手読みした時に、私は心中穏かではありませんでした。別に特別な意図はないとjounoさんはおっしゃるので、これは私の被害妄想だと思います。
では、何で私はそのような被害妄想的なひねくれた感じ方をしたのか?
それは私のコンプレックスのせいです。人の書くものを見ていると、自分の教養の不足と学問的な訓練の不足を感じることがあります。単なる権威や、読んだものを理解しないでタレ流しているような人には全然ビビりませんが、jounoさんをはじめ、そういう蓄積がちゃんと身になってるなあと実感する人はたくさんいます。ゲリラ的な書き方をしているうちはいいんですが、たまに多少まとまったものを書こうとすると、自分自身でそういう人たちとの違いを痛感してしまいます。
知らないうちに、それが蓄積してひけめになっていたのだと思います。だから、jounoさんがURLをポツンと書いてきたりすると、「やばっ、また何かトンデモなことを書いちゃったのだろうか?」とビビってしまうんです。そして、それを読んで「なんだこれは、インボウ論じゃないか?」と思うと、「jounoさんでもこういうのを信じることがあるのか」と安心するよりは、「いいや、あんな教養とバランス感覚のある人がそういうものに乗せられるわけがない。これには何か裏がある」とさらに邪推してしまうんです。
あの文章自体は単純な陰謀論ではなくて、実証的に確認できる所と推論をきちっとわけているし、その真偽と別に重要な論点を含んでいると思います。通読してそれがわかるとある程度は納得するのですが、いったん火がついた被害妄想はなかなか頭ではおさまらないんです。
hizzzさんが問題にしていることは、これなのかなと思いました。つまり、jounoさんはどこも悪くないんですが、jounoさんの文章から滲み出る教養は、essaに圧迫を与えているわけです。この圧迫感というものが権力であって、これはどういう配慮をしても避けがたく起こる。差別とか暴力とかを問題にする人は、こういうことにできるだけ意識的でなくてはならないということではないかと思います。
私も加害者の立場ではこれには気づけない。自分が弱者になって初めてわかることです。強者の立場にいて気づけないのはしようがないと思います。たぶん、私も強者としてそういう嫌な思いをたくさんの人に与えているのだと思います。誰かに言われる前にそれを直すつもりもないし、謝罪するつもりもありません。
しかし、自分がそういう圧迫を与える可能性、どんなに気をつけていても相手がそういう感じ方をしてしまう場合があって、それは相手が悪いからではない、ということには意識的でありたい。その可能性にはいつでも開いていたいと思います。