科学的に有効であるとはどういうことだろう

すごくわかりやすい科学哲学の説明。印象に残るフレーズを抜き出させていただきます。

  • 科学的に有効であるとはどういうことだろう
  • われわれは、完全に規範的主張を無意識に織り込むことなく記述的主張ができるだろうか
  • 知識は本質的に方法論によってあらかじめ制約を受けるのではないか
  • 科学性には工学的な「働きかけ」と操作の論理が組み込まれている
  • 科学的に完璧に正しい知識を仮に想定したとして、それは世界のどういう側面を語っているとみなすべきだろうか
  • データの形式化と未知部分の予測に関して差異をもたらさないレベルでの解釈の差異は、やはり科学内部の問題ではない

ほとんど同感で、難解な内容を平易な言葉で明解に説明される手際には感服しますが、ほんの少しだけ異論があります。

jounoさんがおっしゃっているのは、「相対主義的な考え」が批判しているのは科学そのものではなくて「科学について、より相対主義的ではない考え方をする別の哲学者、科学論の研究者」であるというお話です。ややこしくなるので、この3つに以下の記号を割りあてます。

  • 相対主義的な考え→R(Relativism)
  • 科学そのもの→S(Science)
  • 科学について、より相対主義的ではない考え方をする別の哲学者、科学論の研究者→A(Absolutist)

一般的な認識(誤解)で「RはSを批判している」とされていることに対して、jounoさんはこの文章で「RはSとAを別のものと考えて、Aを批判している」とおっしゃっています。つまり、SとAは別物、つまり分割可能なものと考えているのだと思います。

しかし、私はSが含む「操作の論理」にはSとAの分割を許さない傾向が内包されていると考えます。jounoさんがいくらこのような説明をしてもなかなかそれが理解されない、つまり、Rの批判対象がSであるような誤解が生じるのは、SとAが本質的に分割不可能だからではないでしょうか。SからAを剥ぎとることはできるかもしれませんが、きれいにSがそのまま残ることはなくて、AにくっついてSの何かがベリベリとむしりとられてしまうような気がします。そのS(の一部)とAをくっつけているものこそが「操作の論理」ではないかと私は考えます。

そして私は、むしり取られて残ったSの残骸こそが、真に必要なものだと考えています。だから、Rの立場からS+A連合軍と対決すべきではないかと思うのです。

ただし、これは不利な戦いです。jounoさんの構図にあるように、Sを除外してRとAが対決するならば、哲学同士ですから対等の戦いですが、AがSを味方に引きいれると、Sには「世界を操作する能力」というRにもAにもない独自の武器があります。Rはとたんに分が悪くなる。優等生同士が口喧嘩をしている所に、ヤンキーが乱入して来て胸倉をつかんですごんでいるような状況です。ひよわなR君は、ヤンキーのS君を暴力以外の手段で鎮めなくてはなりません。

困難なことですが、今必要とされているのはそのような言説なのではないかと私は思います。