プロジェクト杉田玄白すげえ(もしかして、今頃知ったのは遅いのか?)


時よ止まれ、お前は面白い

というロゴの下の言葉に引かれて、このBLOG全部読んでしまいました。


ドラッカーとかさっさとくたばってパブリックドメインにならないかな。そしたら(杉田玄白プロジェクトとして翻訳)やるのに。生きすぎ。

これに大笑い。たしかに生きすぎだ。

で、これだけ感度のいい人が杉田玄白を知らないことに驚いたのですが、DQNという素晴しいコンセプトを提示したHal Tasakiさんも、PICSを知らずにPICSを論じたりしていて、それはそれで逆にスゲーと思いますが(概念や手法がほぼ一致している)、やはりちょっと驚きました。

で、もっと言えば、これだけの名文がたくさんあって興味の方向も自分と似ているような、この二つのサイトを自分が今日までキャッチできてないことにも驚き。10年前に知っていてもおかしくないような気がします。

ふと気がつくと、「知っていて当然と思われることを知ってない」という事例が三つ並んだわけで、これには何か意味がある、そう感じると私の頭は、そもそも「知っていて当然と思われること」を当然知ってると思うのは何故だろう、そういうあらぬ方向にさまよい出します。

ここしばらくは「その人にとって知っていて当然と思われること」は誰もが知っている、つまり、フロンティアの無い世界に我々は住んでいたわけで、ヨーロッパ人が世界を征服してから、ネットの増殖があるレベルに達するまで、それは当然の事実だったわけですが、それがそうでなくなった徴候ではないかと思うわけです。

玄奘法師の頃は、彼が知っていて当然と思われることは、シルクロードを越えてサーチをかけないと結果が得られなかった。それと同じように、知るべきことを知らずに死んでしまう確率の方が高い時代に、我々は突入しているのではないでしょうか。