変えられないDQNはない、変えられないことがDQNなのだ

DQN = Dumbly Qualified Negligenceという概念も面白いけど、それに対するsvnseedsさんの論考が非常に面白かったです。ポイントは


ほとんどのシステムはそのままほっておけばどんどんDQN化する、と言っても良いかもしれない。

これだと思います。大半のシステムは、廃止するより継続する方が楽にできているのです。

能がないのでまた社員旅行をネタにしますけど、社員旅行の幹事も大変だと思いますが、これを廃止することの方がもっと大変です。行先をちょっと工夫したり、宴会の進め方を変えるようなことなら幹事の判断でできますが、廃止するとなると、いろいろな所に根回しをしなくちゃいけない。そもそも、誰にことわって誰から話を始めたらいいか、それを調べるだけでひと苦労だと思います。

調べると言っても前例があるわけじゃない、誰のどういう意見を調査したらいいか考えて、廃止することによる影響とその手当を考えて、廃止が正式承認されるための一連の手続きを考える。全部、前例が無い所で一から自分で作らなくてはなりません。つまりこれは「社員旅行廃止システム」の創設なんですね。新規事業の立ち上げと同じことだと思います。

そんなことをするより普通に幹事をやって方が楽にきまってます。独断専行ができる組織なら鶴のひと声で廃止が可能ですが、へたに民主的に運営されている組織では、よけい廃止は難しい。

「みんなが嫌になったら社員旅行はいつかなくなる」と考えるのは、悪しき司馬遼史観と同じで英雄待望論です。誰かが犠牲になって泥をかぶらないとそれは実現しません。システム的にはクラッシュするまで走り続けるようにできています。

前例を踏襲することに余分なコストがかかるようにしないと、たいていのものは環境が変わってもDQNのまま継続してしまうわけで、これを一律に低コストで実現するには、意識して倫理を変えることが必要だと思います。(関連記事: 倫理ターゲティング政策馬鹿とcrazyの間)