冠婚葬祭というSNS

結婚式や葬式というのは、SNSのホームページのようなものだと思う。

そこにいる誰もが、新郎新譜を心から祝いに来るわけでもないし、故人を追悼する気持ちに満ちているわけでもなくて、浮世の義理で仕方なく来ている人も多いだろう。しかし、そこにいる人の顔ぶれを見ていると、総体としてその人がどういう人なのかある程度は見えてくる。そして、何か理由というか事情があれば、そこにいる人同士は互いに紹介してもらうこともできなくはない。

関係性の深さ(あるいは浅さ)で見ると、SNSの友人一覧に出ている人の平均と、結婚式や葬式の出席者全体の平均は似ているだろう。濃い関係の人が少数いて、知らないわけではないけどよくは知らないという関係の人がたくさんいる。それがネットワークとして機能することも同じである。これまでに義理で出席した結婚式と葬式の数が、自分が所属しているコミュニティの数ということになるだろう。

濃い人間関係は冠婚葬祭が無くても維持できるが、薄い人間関係の為には冠婚葬祭というシステムは有用だ。そして、薄い人間関係は個人にとっては煩わしいことの方が多いように感じるが、社会の基盤としては重要なものである。

ある時までは、ほとんどの日本人が冠婚葬祭というSNSによってつながっていた。それはおそらく有名な6次のつながりよりもっと近い関係だったのだろう。

日本の政治(利害関係の調整)や治安の維持にとって、このネットワークは欠かせないものであり、戦後の経済発展は、企業や業界がこの冠婚葬祭というSNSシステムを、コストパフォーマンスのよいコミュニケーションのシステムとして活用したことも一因だろう。

政財官の癒着と言うが、その本質は特定少数の悪人ではなくて、この冠婚葬祭SNSだと私は推測している。

政財官の関係者それぞれが、冠婚葬祭SNSでゆるくつながっている。一つ一つの関係は利害というより義理でしかない。おそらく、ほとんどの公務員が国のことを思ってないわけではなくて、「国益の為にある特定の結婚式に出るな」と言われれば、躊躇なくその関係を断ち切るくらいの良心は持っている。だけど、多くの場合、薄い関係が複雑にからみあっていて、関係者の不正を告発することは特定の一つのコミュニティからの脱退ではなくて、冠婚葬祭SNSというシステムそのものからの脱退につながる。そこまでの覚悟を持って毎日の仕事をする人が少数なのも当然である。

「心から祝う気の起きない結婚式に出ない」「心から悼む気持ちがない葬式には出ない」ということは簡単なようで難しい。

それができる人がほとんどいないということが、政財官の癒着の原因なのだと思う。もし、根っからの悪人がいるとしたら、その薄い人間関係のネットワークに縛られた人間というものを熟知していて、それをうまく利用した人間だ。しかし、黒幕はそういう人ではなくて、誰もやりたがらないけど誰かがやらなくてはいけない、薄い人間関係のネットワークのメンテナンスという面倒な作業を引き受けた善人であるケースがほとんどだと思う。そういう善人を告発することは心情的にも難しい。

冠婚葬祭SNSは有用なものであるが、これをコントロールできない社会は滅びるしかない。何人かの悪人を捕まえればそれだけで政治が良くなるというのは夢物語だ。

日本に市場原理が必要なのは、冠婚葬祭SNSを駆逐する為ではなくて、強すぎるこの力をコントロールする為である。両者のバランスがいい領域においては、日本の経済力は国際的な競争力を持っている。

しかし市場原理が機能しない分野では、冠婚葬祭SNSの暴走によって日本は滅びることになる。昭和初期の軍部の暴走も「失われた10年」も、本当の原因はそれだと思う。冠婚葬祭SNSの外にいる人間は正論を言えるけど力がない。力がある人は冠婚葬祭SNSの世話を他の価値より重視してきた人であり、そういう人にとって、コミュニティを壊すような議論は正論であっても正しい論ではない。正論を言える人は、だいたい冠婚葬祭SNSの外にいる人である。

冠婚葬祭SNSは、日本人が大事にする一つの原理を象徴している。FacebookMy Space が急成長するのだから、それは人間社会にとって普遍的なものなのだろう。しかし、日本にはこれとバランスを取る別の原理が無い。

冠婚葬祭SNSの外に立てる首相を、どうしても現実的にイメージできないのは、その首相がよって立つべき原理が無いからだ。政治というのは利害だけでは成立しないので、その原理を獲得するまで、日本は何度でも滅亡するしかないと思う。

一日一チベットリンク米国人アーティストが語る中国当局による拘束--チベット支援活動の結末:インタビュー - CNET Japan