評論家格付けシステムとしてのデジタル証券
「売却益以外に保有すること自体に価値がなければ破綻するのでは?」というツッコミをいただきました。これには、いろいろなレベルで答える必要があります。まず、スタートアップの段階では、当初の提案にあるように「作者とお話できる」とか「続編のあらすじを決定する権利」とか何らかの具体的な見返りが必要かもしれません。
しかし最終的には、価値が確立して「みんなが価値があると思うから価値がある」というものになると思います。例えば、紙幣だって、最初は「金(ゴールド)と交換できる権利」という過去の価値の代用品としての意味しかなかったわけですが、現在は、誰もが紙幣の価値を認めますから、紙幣それ自体が価値を持っていることになっています。最終形態だけで論じるならば「よいコンテンツを(証券で)保有することは価値があることだ」という社会的通念ができて、それ自体がデジタル証券の裏付けになると思います。一般的にこういう話は、入口と出口が簡単で中間の道筋が難しいのですが、私はひとつの中間レベルのストーリーとして「評論家の格付け」に使うという方法を提案したいと思います。
例えば、私は最近、レッシグとか東浩紀とか引用していろいろ言っていますが、おそらくこういう観点はこれから重要になってきて、このへんの名前はもっと広まると思います。その時に私としては「なんだおまえら今頃騒いでんのか。みんなが騒ぐよりずっと前に俺は注目してたよ」と言うと思います。そういうことを偉そうに言われたら気分が悪くなって、「証拠を見せろ」と言いたくなるでしょう。その時にこの日記を見せて「ほら」と言っても、気分が悪いあなたは「いろいろたわごとが並んでる中のひとつじゃないか。それだけじゃ、レッシグや東を評価してた証拠にはならん」と反論するかもしれません。その時に、私がバーンと「この証券が眼に入らぬかあぁ」とレッシグと東浩紀のデジタル証券をかかげると、あなたは平伏するしかないと、こういう訳です。
評論家がアーチストにコミットする意思を示すものはお金か言葉しかありません。お金を出したら評論家というよりパトロンになってしまうので、結局、言葉になります。言葉によって「こいつは凄い」と言うわけですが、ご存知のように評論家はグニャグニャとした訳のわからん文章を書いて、自分の本当の意思をごまかします。アーチストが売れてもコケても「だからあの時、こう言ってたじゃないか」という言い訳になるような文章を書きます。実際に私だって、東浩紀の悪口もずいぶん書いてますから、彼がコケても「だからあの時、こう言ってたじゃないか」と言うでしょう。一方でそういう逃げ道も用意しています。
そういうごまかしを認めないために、デジタル証券という形で自分のお金を使って明確にコミットしてもらうわけです。私が「これからは東だ」と言いたいなら、東浩紀の証券を買ってそれを日記に貼っておくのです。証券があるかないかで、私の本気度が客観的にわかります。もし東浩紀がもっと有名になったとして、私が彼の証券を持っていれば私もスターです。
つまりデジタル証券が機能すれば、「現在何の証券を保有しているか」ということが評論家の格付けになるわけです。証券を買わずに口だけでものを言う人は「自信がないのだろう」とみなされて信頼されなくなります。価値あるコンテンツの証券をたくさん持っている人が偉い評論家になって、彼が先物買いした新人のコンテンツが注目されます。そうなれば、評論家にとっては「よいコンテンツの証券を保有する」こと自体に価値が生じることになります。
余談ですが、実は、レッシグや東浩紀は辺境から戯れ言のこのあたりから教わったものです。もしそうなったら、私は荒川さんが次に何を買うのかを見て真似するだけかもしれません。